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  • 2013.12.20 Friday
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我が、蹉跌のオーディオファイル #22.アナログ文化とデジタル化



 

アナログ文化とデジタル化

 

昨今写真の世界ではデジタルがほぼ定着し、ヨドバシやビックカメラのフィルム売り場が大幅に縮小されて久しい。

フィルム会社も挙ってフィルムの生産を縮小或いは中止している。

そんな中で一人気を吐き、モノクロフィルムの内容を充実させているのがローライである。

旧東側にもクロアチアのefkeやチェコのfomaが頑張っているが、このデジタル時代にあって、新しいモノクロフィルムを開発する斬新さという点では断然ローライ(Rollei)が光っている。




もう一つ、アドックスもCMS20という素晴らしいフィルムを出していて、これに嵌ると止められなくなるが、選択肢の広さではやはり
ローライが凄いORTHO25やRolleipan25などは粒状性、コントラスト共に特筆物である。


ユーロのやる事は今一つ解り難く、ローライもアドックスも実際はアグファが製造しているという話を聴いた事があるが真偽のほどは解らない。まあ、どうだって良い事だ。

モノクロで色を表現する。それが物理的に不可能な事くらい解り切っているが、観る者の想像力を掻き立てるところがモノクロの最大の魅力だから、モノクロで色の想像を期待するというのも試みとしては面白い。

例の適不適は兎も角、戦場のカラー写真とモノクロ写真を見比べてみると、この事の意味が解りやすいかもしれない。血の色である。

カラーで見る血の色と、モノクロで見る血の色とでは受ける印象が随分違うものだ。

当り前だがモノクロで見る血は黒っぽく写り決して赤ではない。にも拘らず僕らは明らかに赤を想像する。それも見る人によって様々な赤が想像されるが、命を感じさせる力は、明らかにカラーよりも強いように僕は思う。

一枚の写真に内在する力、見る人の心に訴える力はカラーもモノクロも変わりは無いのに、不思議な事に印象の激しいものは大概見たその場で決着が付いてしまう。「見た。うわー凄い」それで終わりというものが多い。

その逆に、見たその時の印象は左程強いものでなかったにも拘わらず、脳裏に焼き付いて離れない写真はモノクロで撮られたものに多くみられる。

人の心に訴えるものがどういうものなのか、ローライはその事を良く知っているのだろうと思うし、時代に逆行しても写真の本質を追究し続ける姿勢が素晴らしい。

写真をやる方なら先刻ご承知だが、ローライは老舗中の老舗である。その老舗が写真の原点を追求し続け、現代風に発展させてゆく、日本の老舗がソロバンを弾いてさっさとフィルムから撤退してデジタルに奔ったのとは随分違って、金だけではない写真の哲学を感じる事が出来る。

先月、ブータンの若い国王と王妃が来日されて、一時ながら「幸福とは何なのか」ということが極度の文明社会の我が国で注目された。

確かに注目はされたが、イカロスの翼に乗って久しい人類が今、飛んでもない所へ向かって進んでいる現実はもう止めようがないのかもしれない。

何時からそうなったのか。

歴史を遡ってみると、原子爆弾の投下から急速に人類は今までと違った世界、科学と化学と物理学の世界へ文字通り競って猪突猛進したと云えるのではないか。

「それで良いのか」とワンチュク国王は現代の文明社会に一石を投じられたのだが、果たして誰が本気で振り向くだろうか。

 

音の世界も今やすっかりデジタルの無機音が世界を席巻して、若者ばかりでなく老人の心まで蝕み始めている。

ゲートボールで禿げが白髪の頭を叩いたなど、些細なことで切れやすくなっているのは若者ばかりではない。僕らそろそろ悟りの境地に入ってもおかしくない年齢のジジババにしてこれである。

日本中が、いや世界中がギスギスしてしまって、彼方此方で深刻な紛争が絶えない。

この事は以前にも触れて、原因の一端は食べ物と音にあるのではないかと申し上げた事がある。

無論「違う」と言う人が居るのは承知している。だが、聞いてほしい。

ファーストフードにインスタント食品、たまには良いが毎食こういうものを食べていると知らぬ間に体のあちこちに変調をきたすところなど、その害毒は放射能に匹敵するのではないかと僕は思っている。

音もそれに勝るとも劣らず質が悪いということに案外我々は気付いていない。

ガラスを引っ掻く音に初めの内は耳を押さえるが、毎日それを聴いていると次第に慣れてきて、そのうち平気になる。気が付いた時には鏡の中の目玉が吊り上がっているかもしれない。

以前、この手の目玉の吊り上がった若者がラッシュで込み合う品川駅の構内を、何処へ向かうともなく血相を変えて突進しているのを目撃した事がある。

幸い僕は少し離れていたので難をのがれたが、触れる者は皆跳ね飛ばされていた。

彼は何処へ行ったのだろう。そして、これから何処へ行くのだろう。

CD等のデジタル音が世界を席巻したのは1984年以降だから、世界中の音がデジタル化されて、音源も録音機材も再生機器も何もかもがデジタル化して、もう30年も世界中の我々はどっぷりデジタル音浸けになっていることになる。

昔のアナログ音は、一部のレコードマニアの間で辛うじて生き残っているのが実情である。

こういう連中は僕も含めて変わり者として奇人変人の部類に分類され、「まあ勝手にやっとれ」といった扱いをされているようだ。

SPしか聴かない超ジジイに僕ら若いジジイはもう付いて行けない。それに似ているのかもしれないとも思うが、ちょっと事情は違う。
SPもLPも同じアナログ音だから音に対する理解は充分にあるので、要はあの手間暇が億劫なのである。

だが、デジタル音との違いはそんなものではなく、人間の生理現象に関する根本的な違いだから、受け入れる事は先ず出来ない。

フィルム、特にモノクロフィルムが一部の本職やマニアの間で辛うじて生き残っている姿と、それは酷似している。

一部の熱狂的レコードマニアは僕も含めて確かに存在するが、世界の趨勢が其処にない事は解り切っている。

地球上のあちこちで混乱と紛争が絶えないのは、人間が天に向かって唾した付けが廻ってきているだけの事だが、そろそろ笑い事では済まされないところまで来ているのではないか。

その原因の全てがつまり主因が食べ物と音にあると迄はまさか云わないが、少量ずつ盛られた砒素の様に害毒が体中に廻って、それがそろそろ充満し始め、70億人一人ひとりの心を蝕み始めているのではないかと僕はかなり本気で思っている。

ヨーロッパ圏など文明の発達した欧米諸国に混乱が生じ始めている現代の特徴的現象がこの事を物語っているように思えてならない。
発展途上国の混乱は主に無知と貧困に起因するが先進国の混乱は煩悩にある。その煩悩を生む主因は権力と金と女だが、それらに対する制御能力が衰えて来たのだと云えないか。つまり何事においても我慢が出来なくなってきているのではないか。

それは、化学物質に近い食べ物を日常的に食べ、無機質な音に日常的に浸っている事が遠因だと僕は思っている。

 

その昔、RCAにフラワーボックスという一寸素敵なスピーカーがあった。マグネットを使用する現代のスピーカーではなく駆動電源を必要とする所謂フィールドスピーカーというタイプである。

箱の全面と側面に貼られた布に大きく花柄の刺繍がしてあることからこの名が付いたが、正式には、RCA Loudspeaker 106という。

1950年代のモノーラルLPを鳴らすと実に艶っぽい音がする。



これを、GEのバリレラを使って真空管アンプで鳴らすのである。

この時代のアメリカ録音のレコードを聴くには断然バリレラが良い事を、僕はこのフラワーボックスで始めて知ったが、オルトフォンを始め全く他の追随を許さない。

普段使う事が無くて引き出しの奥に転がっていたバリレラが敢然と息を吹き返し、フラワーボックスは恰も其処に歌手が居るかのように現実味を帯びて鳴ったのである。再度云うが実に艶っぽい。

こんなものを造る国と日本は戦争をした。端から勝てる相手ではなかったと今更ながらつくづく思った。

モノーラルのレコードの魅力は何と言ってもこの艶っぽさと生々しさにあり、ステレオLPでは終ぞ味わえぬものだ。

こうした超アナログ世界の音を貴方が聴いた時、どんな気持ちになるだろう。

ワンチュク国王に接した、金まみれで心のささくれた我々日本人が一様に感じたであろう、本能的な郷愁とある種の懐かしさを伴った途轍もない悲しさと、そして明日への一縷の光明をそこに見出すかもしれないと僕は思う。「まだ間に合うかもしれない」という事だ。

この音はきっと貴方にそういう印象を与える事だろう。

僕はこの音で祖母を思い出した。

明治18年生まれ、質実剛健、薩摩武士の娘であった。

この祖母とは血が繋がっていないが、僕は親の世代を超えてこの祖母に育てられた。

子供の頃、金の事を口にすると普段は物静かな祖母がこの時ばかりは俄かに語気を強め「男が金の事を口にする」と厳しく諌められた。長じて社会人となってから、金の話しかしない会社という組織では同僚から決して理解されない苦労が随分あった。

しかし、こうした組織にあっても武士の魂の貫きようはあるので、振り返って後悔するところは全く無いし、それどころか今になって祖母の教えの何たるかが解ったような気さえしている。

この祖母は死ぬまで「痛い」「苦しい」「辛い」という言葉を文字通り一言も口にしなかった。僕は既に何回も口にしてしまっている。全く足元にも及ばない。

口数の少ない控えめな人であったが、無言の教えの効果は歳と共に現れるものだという事も、此方がジジイになって始めて解るのである。

フラワーボックスの音で何故こんなことを思い出したのか良く解らない。

LINNだかなんだか知らないがデジタルアンプやJBLなどで何を聴いたって思う事も想い出す事も無い、あってもせいぜいが口説いた女がどうだったといった低俗なものでしかない。

言い方を換えるなら、これ等の機器は音は鳴るが、音楽が鳴ってこない。

無論、鳴ってくる音にはメロディーがあってリズムがあるから音楽には違いないけれども

音から連想するものが違うのである。音楽の価値はそこから何を連想させるかで決まるのだ。

フラワーボックスが奏でる音楽には、つまりアナログ音には血が通っている。だから、連想するものにも血が通っているのである。

PCのサイトでVenetor Soundを検索すると、50年〜60年代のアメリカのレコードを不思議な事に見事なアナログ音で聴く事が出来る。

PCなどという超デジタル機器でどうしてこのような音が出てくるのか解らないが、間違いなく出てくる音は古き良き時代のアメリカンポップスのアナログ音である。

この時代のアメリカという国の一端を知る事が出来る。
音楽には常にその音楽が生まれた背景があるから、それを聴き採る事が出来るかどうかがオーディオの評価につながる。

スペックを評価してもオーディオの価値は解らない。オーディオは決して主役ではなくて「主役は飽くまでも音楽にある」という事もこのサイトが教えてくれる。

オーディオ雑誌の主役はオーディオ機器だから、オーディオ誌を読むだけではオーディオを間違えるという事も序に教えてくれている様な気がする。

この音を聴いてみると評論家諸氏は勉強になるかもしれない。
そしてもうひとつ、新橋や芳町あたりで少し遊んでくると良いかもしれない。粋を知らずに音楽の評論も無かろう。

Venetor Soundという会社は、言ってみれば今モノクロフィルムに注力するローライの姿に良く似ている。人の心に訴える本物の音造りをめざす数少ない会社の一つである。

ローライと違う所は老舗ではなくベンチャー企業だという所だが、これからの我が国に必要なのは、中身の腐った某光学機器会社や紙屋の様な企業ではなく、こうした本物を追求してゆく会社である事に間違いない。

一度彼等の造る音を聴いてみる事をお勧めしたい。

 

 

 

 


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