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  • 2013.12.20 Friday
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我が、蹉跌のオーディオファイル #31.続EQアンプ

                続EQアンプ

前回のパスコンの話を、この回路を教えてくれた某氏に云ったら、案の定笑われた。
「それは駄目なんだ。パスコンを付けると高音が出なくなる」と言うのである。
居合わせたマニアの親父某は何も言わなかったが、横で若干嘲笑気味の薄笑いを浮かべている。
考えるまでも無く、理論的にはこちらが間違っているに決まっている。天下のアンペックスが、こんな初歩的な間違いを犯すはずは無いのである。
が、そんな事なら承知しているのだから、正解を指摘されたからと言って僕の意見は変わらない。
パスコンを付けないと、弦楽器(特にヴァイオリン)が綺麗に聴こえない。
高音が出過ぎるのか、飴色の優美な木の胴と4本の弦が織りなす、あの美音がちっとも聞こえてこず、錆びた鉄の弦を鑢で擦った様な音、とまで言うのは酷過ぎるにしても、ややもするとそれに近い鳴り方をして、決して美しい音とは云えないところが随所に聴こえる。
前回も言ったが、この回路は、寧ろジャズの様な音楽に打ってつけで、ドラムの表面を鉄箒で掻き廻す音など真に臨場感満点であり、パスコンを付けると、途端にこの雰囲気は掻き消える。
某氏は続けて「理論的に言うと、こうだ」と説明してくれたが、馬の耳に念仏である。元来、この手の理屈は理解不能であるし、あまり重要視していない。
「そう云ったって、高音が穢きゃ意味無かろう」と反論すると、某氏は「うーん」と唸って何も言わなかったが、横合いから「日本人は高音のキツイの嫌うからな」と親父某、今度はあからさまな嘲笑を浮かべている。
「日本人は・・・」と言うところが気に食わない。「日本人離れした・・・」とか、何かと西洋人と比べて日本人は如何か、といったもの云いをしたがる傾向があるが、戦後68年も経って、まだ青い眼コンプレックスが抜け切らんと見える。困ったものである。
どうあれ、音の感性の違いは線路みたいなもので何処まで行っても交わる事は無いので論争自体が不毛だから、この言は無視した。元より理論的にはこちらが間違っているのだから喧嘩にもならない。
親父(と言ったって、僕よりは大分若輩と見たが)の話は兎も角、この回路は一つの極みであるかもしれない。
確かにクラシックよりはジャズ向きの音だが、どういう訳か、事ピアノに関しては抜群の性能を発揮する。無論パスコンなしの原回路が、である。
今迄、こうやって色々とEQアンプを弄り回して来て、出た結論の一つは、弦が綺麗に出るとピアノが今ひとつ冴えず、ピアノが綺麗に出ると弦が荒れる。どうもピアノと弦の音は両極にあって、音の性質がかなり違うのではないかという事である。
この双方を理想的に再生できたEQアンプは、僕の知る限りRA1474が唯一である。
そして、ピアノ再生に限って言うなら、アンペックスEQはRA1474に匹敵する。
双方、異質な音ながら、甲乙つけがたい美音である。
余談ながら、RA1474の音は、TRIADのトランスHS-1とHS-52を使って初めて1474の音になる。規格が同じでも、他のトランスでは決して1474の音にはならない。
この事は、他のアンプにも云える事で、例えばマランツ7の回路でアンプを組んでも、マランツ7の音にはならない。このアンプには、御承知の通り、バンブルビーなどがふんだんに使われており、言うまでも無く、今ではバンブルビーの入手は困難であり、且つ入手できても容量抜けしていたり、まともな物が揃わないから、完璧にオリジナルの音を再現する事は、不可能と云っても良いだろう。
要するに、マランツ7にしてもマッキンC22にしても、発売当時各部に選定されていた部品は、伊達ではなくて、それで音を造っているのだから、類似品を選んだとしても、部品に違う物を使えば、音が変わってしまうのは至極当然な道理と言ってよい。
部品の規格数価が同じなら音は変わるまい、と思うのは、中央官庁の役人の発想と同じで、あくまでも、正しいのは理論上の事であって、現実とは程遠い事を、自作マニアなら知らぬ人はいないだろう。
前回も触れたが、だから修理に付いてもこれは同じ事が云えるので、類似の部品で修理しても元の音色は再現出来ない。
市場にはしかし、マランツ7やマッキンC22の古物がけっこう出回っており、何れも法外な高値である。だが、それが売れている。
昔美人だった100歳婆さんを「どうしても」と嫁に貰うに等しいこうした純情には、やはり決死の覚悟を必要とするだろうと僕などは思うが、元よりこういう事は嗜好の問題でもあるから、他人がとやかく口を出すことではない。
思うのだが、100歳婆さんに効く「甦り」の妙薬があって、それを飲めば、華も恥じらう乙女に返り咲くとでもいうなら、年齢など問題ではなかろう。
だが、そんな妙薬があるとは聞いた事が無い。
どうでもいいことだが、もしあるのなら、婆さんにではなく自分が飲んでいる。
部品が音を決めるのなら、件のアンペックスEQも、これは僕が勝手に部品を選んで組み立てたものだから、正確にオリジナルの音を再現したものではない。
従って、今誉め上げているこの音も、必然的に本物とは違う音を誉めている事になる。
が、僕はオリジナルの音を知らないから、組み上げたアンプの音さえよければ、その事はどうでも良い。
少々逆説的ながら、だからこそ、一度手にした、或いは耳にしたアンプを別の部品を使って再現しようとはせずに、初めて出会った回路で組み上げる事に楽しみを見出してきた。
そしてこういう事も云える。
このアンペックスEQも、オリジナルの音を聴いて、その音が気に入ったのなら、値段次第ながら、第一にその物の入手を試みるのであって、自分で組もうなどとは思わなかっただろう。
回路が骨格で部品が血肉なら、自分で部品を選定したこのEQの半分は僕のEQだという事になる。誰にもこの音は出せない筈で、それで良いのだと思っている。
ピアノの美音につられて、結局このEQのパスコンは外して、オリジナル回路に戻した。
何も親父某の言に負けたわけではない。今も言ったように、ピアノの音が余りにも美しいので、ピアノ専用としただけの事で、弦の再生には弦用のEQを新たに組むことにしたまでである。
40年ほど前に、S氏から貰った回路図を引っ張り出し、慎重に部品を選び、無いものは海外からも取り寄せて組み上げた。
奇跡的に、これは一発で決まり、弦は何処までも繊細に、オーケストラは迫力満点に仕上がった。
抵抗は、当時S氏から入手していたアーレンブラッドレイ中心とした。
アーレンの抵抗はバラツキが多いので、通常は使わないのだが、音の良さでは比類が無い。
厳密に数価の正確を期そうとするなら、一つひとつテスターを当てて、確認してから使うのが良いのでそうしたが、若干のバラツキなどさしたる問題ではないから、出来るだけ近い値で左右を揃える、という程度である。基から±5%の抵抗だから、ここらは大らかに構えても問題なしとして、そういう正確さよりも、音質を重視した。事実、問題は何もなかった。
初段カップリングコンデンサーは、スプラグビタミンQのチューブタイプの物を使ったが、出力コンデンサーは同じビタミンQでも、缶タイプの物をつかった。
音質に付いて、どうやらこれが決定打となったようだ。
このコンデンサーはボディーアースになっているので、取り付けるには若干神経を使い、シャーシーから浮かせて取り付けねばならないが、同じビタミンQでもチューブタイプと比べると音の木目の細かさや力強さに雲泥の差がある。と、僕はそのように聴いた。
カップリングは、以前他のアンプで、ブラックビューティー、ブラックキャット、チューブタイプのビタミンQ、ウェストカップとビタミンQとの合成、普通の缶タイプのオイルコン、マスタード等々、色々試してみた結果から、今回缶タイプのビタミンQに賭けてみたのだが、それが大当たりだったようだ。
試に出力コンを、上記の全てのコンデンサーを、とっかえ、ひっかえ、付け換えて、聴き比べてみたが、やはりこれが最も適していた。初段も同じ物があれば使おうと思っている。
フィルムコンは何れもクリアーで綺麗な音だが、硬質の傾向があり、普通の缶タイプは、柔らかくなり過ぎるようだ。合成ものは、音は綺麗だが若干力不足のきらいがある。
と云っても、それは、僕の音の好みであって、他者は違うかもしれない。ブラックビューティーや普通の缶タイプ、或いは合成ものが良い、という事になるかもしれない。それはそれで良いのだ。
今云った事は、偶々僕の耳が、缶タイプのビタミンQに落着いた、とういうだけのことで、各人、好みの分かれるところだろう。
S氏の回路は、貰った当時一度組んでみた事があって、その時はさしたる感動も無く、というより当時はRA1474が手元にあったから、造ってみたものの比較する気にもならず、直ぐにばらして、シャーシーだけ屋根裏に仕舞っておいたのだが、今改めて組み上げてみて、当時の記憶とは全く別次元の音に仕上がったのがどういう事なのかよく解らない。
40年ほど前の音の記憶だから、細部がいい加減なのは仕方ないとしても、大筋はしっかり記憶している。全然違うのである。
S氏の造る音に、悪い音というのは無いから、当時も、それなりの音が出ていた記憶は確かにあるのだが、それにしても、別物の鳴り方をするのだから、おそらく当時の造り方がいい加減で、結線など間違えでもしていたのだろう。
が、兎も角こうしてアンペックスEQとS氏回路のEQを使い分けることにしたが、アンペックスEQをピアノ専用にした事もあって、このところS氏EQの使用頻度が高い。
今更めくようだが、S氏の音の技術は、世界でも指折りではないかと僕は思っている。
序ながら、手持ちのカートリッジとの相性を言うと、アンペックスEQにはSPU-Aが良く、S氏EQにはELAC・ STS322が合うようだ。
無論、これも相対的な比較であって、レコードに依っては逆の場合もある。幸いアームは2本付いているので、使い分けは楽だから適宜組み合わせを変えて使っている。
これが旨く壺にはまった時の美音は得も言われない。
もうEQアンプはこれでよい。打ち上げとしよう。
こうやってEQアンプの音に拘ったのは、このブログの始めの頃に申し上げた通り、PCへの収録を始めたからであり、その目的は、ジジイ化がいよいよ進んで動けなくなった時、PCなら指先一本で操作可能だからであり、当然、ダビングをするのだから音質は劣化するので、その劣化が聴き分けられないくらい良い音で録音しておこう、という魂胆からであった。
収録を始めたのは3年前からである。
収録にはヘッドホンが必要なので、ゼンハイザーの、中の下クラスのものを買ったが、これがまんざらでもないのに驚き、今迄見向きもしなかったヘッドホンへの関心が俄かに高まって、もう少しグレードの高いものを求めようかと近頃思案して、某氏との雑談の中でその事を言ったら「ヘッドホンアンプを使うと格段に音が良くなる」と言う。
「全く別物の音になる」とも言う。
ならば、今聴いている、中の下クラスのヘッドホンが、もしかしたら、中の上か、上に、旨く行ったら、特上になるかもしれない。そしてならば、ヘッドホンアンプを造って、更に特上のヘッドホンを使えば一体どこまで音質の向上が得られるのか、と、助平根性の期待は一気に上昇して、「これは造らねばならぬ」と結論に至った。
だから、これは造ってみようと思う。
やってみなければ解らぬ事だが、凝ったものではなく、単純な回路が良い様な気がする。
まったく次から次へと切りの無い話だが、次第に終点に近付いてきているようだ。
何年後か、ジジイがポツリと一人音楽を聴いている。
そうした風情も悪くは無かろう。


我が、蹉跌のオーディオファイル #30.EQアンプ

                    EQアンプ

年をとると時の過ぎるのを速く感じる。
子供の頃は学校に行くのが嫌で、嫌だと思っているとなかなか時が進まず何時までも嫌な気分が残ったものだ。いい年をしてからは会社に行くのが嫌で、一日の進むのがやけに遅く感じられたものだったが、そういう気分を味あわなくて済むようになって随分になる。
そうなると今度は時の過ぎるのが矢鱈に早く感じられる。
年が明けたと思っていたらもう2月である。この調子だと気が付いた時は棺桶に入っているかもしれない。
棺桶の中から僕を覗きこむ悲喜こもごもの顔々を見てみたい。いい趣味ではないが何だか面白そうだ。
そういう死期の予感からか知らないが、去年は珍しく暑い時期を過ぎてもアンプ弄りが止まず、あっという間に時は過ぎて、一応の完成を見たと思ったアンペックス回路のEQの音に、年が明けた途端に音の高い所に不快を感じ始め、聴けば聴くほど不満が募り、翌2日には我慢が出来なくなっていた。
だから3日には半田鏝を持って部品をとっ替えひっ替え。
しかし、何処をどうやっても音質は改善されない。各コンデンサーをもう一度一からやり直し、オイルコン、フィルムコン、マイカコン、・・・。コンデンサーを変えるのだからその都度音は変わるが改善されたとは言い難い。
前回も申し上げたが、低音はしっかり出しながら且つ締めなければならず、高音は抜けるように爽やかでありたい。
そして、どの辺りがフラットな音なのか、それを耳で探ってゆく。
録音時、プロデューサーが意図した音は当然僕らの知り様の無いところながら、そこの所を「音楽を聴く耳」で探ってゆく。
無論生の音が再現される事は間違ってもないから、レコードで聴く最も真っ当な音はこうではないかと思いながら探ってゆくのである。実に面倒くさい。
優秀なオーディオ機器は幾らでもあるのに何故その面倒をやるかを問われるなら、音に関する感性は人それぞれ違うからとしか言いようが無い。
無論市販のものでピタリとくればそれで一向構わぬことながら、ちょっと良いと思うと法外に高い。百万もするアンプなどバカバカしくて買う気にならないし、大体中身の見当は付くからいよいよ買う気にならない。
良き時代の名アンプなどは部品の替えが無くて今やちゃんと修理が出来ない。マランツ♯7やマッキンC22などが良い例である。バンブルビーなど殆どが容量抜けしていると思った方が良い。当時のアンプはこうした部品をたっぷり使って音を造っているから違う部品で修理しても往年の輝くような音は殆ど再現できないと思った方が良いだろう。
だから結局自分のアンプは自分で造るという仕儀となる。
「自分の好きな音で聴きたい」僕がアンプを弄る理由はこの一点に尽きるが、如何にせん素人である。しかも電気知識が無いのだから、最初にやる事は信頼出来るであろう回路を探すことからだ。回路など見たって何処がどうなっているのか解るわけではないのに、どうしてだろう、その訳の解らん回路を見ている内に感が働いて善し悪しの見当がつくから不思議である。回路図から音が聞こえてくるわけはないが、でも聞こえてくるのである。音が一個一個順番に部品を通り過ぎて行く時「こういう音になるのではないか」と想像力が働くのである。
理論の音ではなくてこういう経路でこういう部品を通るとこういう音になるかもしれないという、言ってみれば部品が造る音が聞こえるのかもしれない。甚だあやふやな感だが結構当たる。
アンペックスのEQ回路がそうだった。一目でこれは良いと確信、部品選びも迷うことなく組み上げて一応の正解を認識したのであった。そこから本当の音造りの思考錯誤が始まりもう一年半続いている。年が明けてもまだやっているという話である。
それ以前RA1474を長年聴いて来た事は何回か申し上げた。これ以上のEQアンプを僕は知らないが、一度手放したものを未練がましく追うような事はしたくないので色々模索した結果巡り合ったのがアンペックスの回路でとても気に入っている。
去年の内にこのEQは完成したと思っていたのでその時もこの回路について少し申し上げたが、完全という事は何に依らず有り得ない。
しかし、やるべき事はやり尽くした感もあったので、この回路は所詮、ロデオで頭を揺さぶられたカウボーイのガサツな神経で造られたものだったかと疑い、自分の感にも自信をなくしかけていたが、最初から気になっていた出力段のカソードを(原回路ではバイパスコンデンサーを使っていない)150μfの銀タンタルでバイパスして、思いのほか簡単に解決した。
恐らく設計上の数字はこれで狂ってしまって、だから理論的には間違っているのかもしれず、解る人が見れば馬鹿と笑われようが、そんな事は一向構わない。理論が正しくたって音が悪けりゃ糞より価値は下である。
兎も角、音はがらりと変わった。
物凄い違いだとだけ申し上げて置こう。
そしてアンプは理論を確認する為にあるのではなく、音を聴くためにあるのだと再認識したとも申し上げて置こう。
試に貴方のアンプのバイパスコンデンサーを外してみるとこの音の違いがどういうものか解るだろう。筆舌には尽くしがたいから一度やってみる事をお勧めする。
天下のアンペックス奴が設計ミスをしておったかと疑いたくなる程の音質の違いに開いた口が塞がらなかったがしかしこれはジャズを聴いた事で納得がいった。
この回路ではこうした音楽にはバイパスコンを使わない方がジャズらしく聞こえるのである。シャリツクとでも言っておこうか、ロックやウェスタンそれにスタンダードな音楽も同様、これが無い方がそれらしく聞こえるから不思議である。つまりこのEQの用途が違っていたのだろうと好意的に判断してみると成程パスコンは必要ない。
だが僕は基本がクラシックにあるから、それならこのコンデンサーは必需品という事になる。これを付ける事でクラシックがちゃんとクラシックらしく聴こえるからである。
猛烈な違いというのはその差の事である。
アンプ弄りが止められなくなるのはこういう面白い事があるからだが、このバイパスコンにASCのフィルムコンを使うと劇的に音が良くなるらしいが僕はまだやっていない。一度やってみようとは思うが、銀タンタルを超える事は無いのではないかと推察する。何方かやった方が居られるだろうか。
別の回路ながら以前この箇所にスプラグの39Dだったか、極普通レベルの物を使って失敗した事があった。音がギスギスしてヴァイオリンがギーギー鳴るので呆れ、即座に外してリード線に磁石を近付けてみたら勢いよく吸い付いた。スプラグも堕ちたものだ。
こんな所をケチってはいけない(然るべきは銅か銀なのは周知の通り)中身など推して知るべしである。
聞けば中国製なんだそうで、知っている人は如何なる箇所にも絶対使わないのだそうだ。成程と納得して引き出しの奥を引っ掻き廻していたら、今回使った銀タンタルが10個ばかり出て来て音の良さはその時も再確認していたから迷う事は無かった。
クラシック用のEQはこれで完成である。だからもう二度と手を加えない(とことん追求する事と同様止めどころを見極める事も肝腎だと思う)代わりに、ジャズ向けのEQを造る。
スティーブ・ジョブスではないが、妥協は許されない。ジャズ系なら当然使う部品も違ってしかるべき、当り前のことながらアンプ造りは音造りだからその思考錯誤にたっぷり時間が掛る、完成を急ぐ事は禁物である。
組み上げるという半田鏝を持つ作業は準備段階であって、組み上げてからが音造りの始まりである。だから肝腎なところは全て借り止めして置き、簡単に付け換えられるようにして置く。一度聴いて欣喜雀躍しても暫く聴いているうちにあらが見え始める。飽きるような音では駄目だから少しずつ直してゆく。
考えてみればこのEQに付けたバイパスコンを外して基に戻すだけで事は解決するのかもしれないが、部品を変えれば音が変わるのだから徹底的にやってみなければ気が済まない。
だが、良き時代のオーディオ部品は随分と品薄になってきた。真空管・コンデンサー・抵抗、皆然りである。そして簡単な市場原理ながら希少なものは値が上がる。
以前申し上げたがWEの部品など半腐りの物でも猛烈に高い。だからこういうものは使わない。テレフンケンの真空管なども法外に高値である。良い事は解っているがこういう物も避けて良質な部品を探すのもまた面白い。首尾よく探し当ててみると何故だろう「ざまーみろ」と快感もひとしおだから達成感も倍増する。心地良いのだから思わず笑顔にもなり健康にも良い。
年をとってから家内に柔らかい顔を見せる。これは大切なことだ。
高い部品が良い音を造るとは限らない。今は殆ど見る事も無くなったスティロールコンなども使いようでは真に具合が良いと聞くから今度試してみようと思っている。少なくなったとは云え、有る所にはまだまだ有って猛烈廉価であるところも結構だ。
ほんの一部だがこれを何処に使うと良いかは某氏に聴いているから知っている。しかし、半分は首を傾げながらやることだし、どう良いかも問題だからそれ言うのは結果が出てからにしよう。
国内で探しても無い部品は海外から取り寄せる。割高は承知だが結構面白い部品が見付かる事もある。
絶対に避けるべきは中国製の部品である。何に依らずこの国に決定的に欠如しているのは倫理である。コピー製品など特に注意。真空管などもっての外、猛烈汚い音を造るにはこれを使ったら良いという見本のようなものばかりだ。中国製造の一流メーカー品なども使いものにならない物が多いから要注意である。ブランド名など当てにならない。平気で滅茶苦茶なコピーをすることは何も僕などが言わなくても周知の事だ。
「安物買いの銭失い」というのは中国製品の代名詞だと思った方が良かろう。
スプラグの例もあるので買う前に何処で製造されたものかよく確かめる事が肝腎だ。
あやふやな返事が返ってきたら買わない事だ。急がば回れと云うからゆっくりと良い部品を探すのもまた楽しみだ。
さて、有り合わせの部品で一先ず組み上げてみることにしよう。
結果はまた何れ。

 


我が、蹉跌のオーディオファイル #29.VT−MCTL

                                          VT−MCTL

ベネターサウンドのヘッドアンプ、mctlVT−MCTLの事を書いてから一年ほど経つが、これに付いて書き足さずにいられなくなった。
毎年、どういう訳かくそ暑い夏になるとあれこれと音を弄りたくなる。どうして夏にそうなるのか分らない。我が家に居た犬ども、猫どもは毎年春になると目を吊り上げ充血させて何やら不審な行動に及んでいたが、それと同様の事なのか兎も角そうなるのであって、今年も例年通り7月に入った途端に、だからまなじりを決してイコライザーとプリの電源二つばかりに取っ付いた。
イコライザーの電源はチョーク直後の100μのコンデンサーを電解からオイルに替え、チョークには0.1μのこれもオイルコンデンサーを抱かせた。
プリの電源は部品配置を全面手直ししただけで特に変更はしなかったが、チョークにやはり0.1μのオイルコンを抱かせた。
電源が音質に与える影響が極めて大きい事は皆様御承知の通りだが、100μのオイルコンは見事な効果があった。油だから音が滑らかになるのかその辺りの理屈は知らないけれども、音が細やかになり、綺麗になった。
ただ、流石に一個で100μ350Vをカバーするオイルコンは無いので、アメリカ製と思しき50μ400Vをパラで使った。
チョークに抱かせたコンデンサーは云うまでもなくリップル対策である。
平滑回路を何故いじるのかを敢えて言うなら要はリップルをどう取り除くかが課題であるに決まっている。
こうやって実際にあれこれとやってみると、電源に電池を使うという考え方が如何に正しいかが実感できる。
「如何に綺麗な直流をアンプに送るか」という事が、今更めくが音の良否を決定する大きな要素である。
次にプリの抵抗を上質なものに替え、出力段のカップリングコンデンサーをチューブタイプのオイルコンから缶タイプの大型のオイルコンに替えた。ここは諸説あるところだろうが、数拾年前に買ったまま忘れていたものが物置の奥から出てきて、数価がぴったりだったから試にこれに替えてみたところ当りだったということで、偶然の産物でしかないが、電源のオイルコンの効果同様音が細やかになり綺麗になった。これもどうしてそうなるのか理屈は解らない。が、兎も角やってみたら大成功だったということである。部品に依って音が変わる典型例と云ってよいだろう。
モノ出力はトランス出力として独立回路を組込んだ。程度の良いプリ用出力トランスが何故か一個だけ残っていたので、ちょいとやってみたくなったからやっただけの事で云ってみれば双方とも廃物利用に近いが不思議な事にどちらも結果は上々だった。
何でもやってみる事だ。
そして更に、パワーアンプの再調整。
これだけやるのに2カ月掛った。
大量の汗が流れて18キロのダイエットに繋がった。平たく言えば気合を入れたという事である。
上記は勿論結果だけを書いているので、実際は電気知識ゼロのジジイが耳だけを頼りにやっている事である、実際はその何倍もの試行錯誤の結果だから実験研究と同様やたらに手間が掛ったのである。不器用という事も当然ある。
そして3カ月が経った今、件の100μオイルコンがこなれてきて角が取れ、組み上げた当初から更に音は繊細なものになり、且つ一段と明瞭で落着いた音になった。
レコードの音溝に刻まれた音を余すところなくフラットに再現する。
これがレコード再生の理想なのは解っているし、しかしながらフラットな音というのがなかなか面妖で、それに聴覚の個人差をプラスすると、結構この言葉には惑わされるところ大である事も解っている。
だが音の理想を言うならやはり「フラットな音」としか言いようが無い。
基より音を言葉で表現する事は出来ないと思っているが、
そのフラットな音が出ている様な気がする。
30年聴いて来たRA−1474の音はフラットな音という意味では恐らくほぼ完璧なアンプだろうと確信しているが、その1474を手放して以来やっと同質の音の背骨の様なものが得られたのではないかと思う。
1474の音は手放す前に主だったレコードをCDに録音しておいたので今でもこれと聴き比べる事が出来るのである。
因みに録音に使った当時のレコード再生機材は以下の通りである。
カートリッジ:SPU−A(新藤ラボチューニングのスワン印)
アーム:オルトフォンRF297
ターンテーブル:ガラード301(新藤ラボ調整、ターンテーブルをでかくしたやつ)
アンプ:RA−1474
現在使用中の物とは無論アンプの回路は違うし、SPU−Aもスワン印ではないし、プレイヤーもアームも違うので音色に違いはあるが、所謂良い音には背骨の様な同質の芯が通っている。これは良質な音に共通の物で、その芯に乗って低音から高音までバランスが取れている音をフラットな音と云ってよいなら、今出ている音はフラットだと云う事が出来るように思った。
フラットな音。バランスが良いだけで芯の通っていない音は駄目だし、芯が通っていてもバランスが悪ければ当然ながら駄目だし、実にやっかいなものだが、レコードに刻まれた音は余程悪質な録音の物でない限り録音技術者は基本的にフラットと思われる音を録音している筈である。原音を音癖なく録音する事がベストという事だろう。
技術者の感覚によって個々に音色の違いはあっても根底に流れる音の芯とバランスは大概共通しており、その音を其の儘、つまり如何に音癖なく再現できるかがレコード再生のキーポイントなのは何も僕などが改まって云う事でもない。
この事はあらゆるスポーツで、其々に秀でた選手には共通した身のこなし方がある事にも通じているように思う。無論相撲と野球では身のこなし方が違うし、個人のセンスの違いによって色々な身のこなし方があるのは当然だが、一流選手の身のこなし方には体の重心の置き方に於いて共通したものがある。つまり体のバランスのとり方だが、どのスポーツでも優秀な選手にはある一定の共通した身のこなしが備わっている。
音も芯を外したものは所々綺麗な音が出ていても何処かふやけたような印象が残ったり或いは明朗過ぎて音がきつかったり、聴いていて落着かなくなるものだ。
「何か、何処かが違う」という印象を聴き手に与えるのである。
余談ながら、フラットな音を造るのに尤も面倒なのは低音を締める事だと思う。低音が出ないのは論外としても、出過ぎるとだらしのない音になり、それが高音に影響を与えて音全体をもこもこした、籠った様な音にしてしまう。だから出過ぎた低音を引っ込めるのではなく締めるのだが、ここがアンプ造りの一つの難所と云ってよいだろう。
低音の締り具合を確認するには、ジャズなどのコントラバスをつま弾く音を聴くと解りやすいかもしれない。この音がぴんと張って正に指でつま弾く感じが明瞭に聴こえてくるなら占めたものだ。ここが不明瞭でボンボン、ボワボワふやけた様な低音が矢鱈に低く響くようなら、ここは「低音が出ている」と喜ぶところではない。こ奴が音全体を擦り下げてしまう。当残ながら中高音を弱いものにし、音の輝きも消してしまう。これは聴けば分る事である。この事に妥協は許されない。
回路さえ確かなものならば後は真空管、コンデンサーなど部品が大きく影響してくるから色々試して耳で確認してゆくと良いだろう。フラットと思しき音は、この段階では自分の耳で確かめるしか手はあるまい。測定器の価も大切だがそれは目安にしかならない。
さて、RA−1474の昇圧トランスは云わずと知れたトライアッドのHS−1である。
この音を嫌いだと云う人も居て当然ながらHS−1にも音癖のある事を証明しているが、ピカイチ素晴らしいトランスである事は万人の認めるところだろう。
このHS−1に相当するのがVT−MCTLである。MCトランスレスといった意味でトランスではなくヘッドアンプである。
レコード再生に使った機材が全て違うのだから単純な比較は出来ないし当然音色は違うけれども、少なくともMCカートリッジの昇圧というレベルではHS−1と同格かもしかしたら音癖が無い分それを上回る性能を持っているかもしれないと思いを新たにした。
スペック的な性能の事は僕には解らないし興味もないが、しっかり電源に電池を使っているからか何と言っても音が素晴らしいし、前述の音の芯をこのアンプが持っていなければ、後に続くアンプの音に芯の出ようが無い事は確かだろう。自画自賛するようだが今回の改良で我がアンペックス回路のEQが、音色の違いは当然ながら音のレベルでRA−1474と甲乙つけがたいものになったという事は,VT−MCTLの実力を結果的に実証する事にもなったと思うので、改めて其の優秀性に触れずにいられなくなった次第である。
皆様御承知の通り、オーディオは一つでも程度の悪い機材が入ると音はその機材のレベルで鳴ってしまう。この事は逆も真なりで良い音のオーディオは音の入り口から出口までの機材のバランスが取れているものだ。そうでなければ良い音にはならないから、その定石からも、VT−MCTLは最高レベルのヘッドアンプだと言い切っても良いと思う。
本気でそれを証明するなら、1474を組み上げ,HS−1とVT−MCTLを聴き比べてみれば分る事だが、もうその必要はあるまい。
手元にLAXのE−03で再生・録音されたCDもあって、これも一聴すると必ずしも悪い音ではないのだが、アンペックスEQやRA−1474と聞き比べてしまうと、随分と音が籠っていてサックスが霧笛のように聞こえる。それも風情だと云うなら何をかいわんやだが、フラットな音の再生というレベルで捉えるなら段違いと云ってよいだろう。悪口を言う気はないが、相撲で云う「顔じゃない」という隠語が当てはまる。
「三年経っても十年早い」というくらいの意味の言葉である。
それくらい音のレベルが違う。
VT−MCTLはHS−1と全く同格の、これは強調して置きたいので繰り返すが「音癖が無い」分、或いは其れ以上のレベルにあることを今年のくそ暑い夏に実証する結果になったと思う。今更ながら実に素晴らしいヘッドアンプであると思う。
全く、アンプは買ったからといって簡単に手懐けられるようなものではない事も改めてよく分った。質の良い機材ほど扱いが難しい事をこの歳になって再認識もさせられた。
ちょっと癪だが、オーディオは奥が深くて面白い。
一歩前進した時の快感というのも堪えられないものだし、
これじゃ何時まで経っても死ねんわ。


 


我が、蹉跌のオーディオファイル #28.欲しかったスピーカー

                  欲しかったスピーカー

オーディオに興味を持ち始めてから約40年程経つが、当初最も欲しかったスピーカーにクラングフィルム、(後にシーメンス)オイロダインがある。
引き出しを整理していたらシーメンス当時のカタログが出てきて、オイロダインのスペックが載っていた。オイロダイン
ちょっと驚くのは再生周波数で、何と50Hz〜15,000Hzとあった。
今時数万円のスピーカーだって人間の可聴範囲20Hz〜20,000Hz付近をカバーしている。
そこで、スピーカーの再生周波数に付いて一寸調べてみたら、どうやらこういう事らしい。
スペックがどの様な数字であるかは兎も角、「実際にスピーカーから出る低音の60Hz以下は音というよりも風圧として肌で感じるもので、強烈なドラムやベースの唸りの様な低音は大概80Hz〜100Hzくらいである」という。だから、60Hzが出れば通常僕らが聴いているオーディオの低音に何ら不足を感じるものではなく、まして50Hzが出るなら映画館などの大鉄桟を巨大な大砲の発射音や炸裂音で揺るがすに実は充分な低音が出る事をオイロダインのスペックから読み取る事が出来るのだそうだ。
そして高音は「4KHz〜6KHz以上の純音の音色を判別する事は非常に難しく」この辺りで音程に対する判断は鈍って来るものらしい。
僕らが聴く「スピーカーの音(無論録音前の原音も)を決定づけるのは純音ではなく倍音であって、倍音は整数倍で膨らんで、大体13〜14KHzほど先からは殆ど聴こえてこない」ものらしい。
だから、オイロダインの50Hz〜15KHzという周波数帯域はこれらの条件を低音で10Hz、高音で1KHzばかり其々上回っており、従ってオイロダインで聴けない音は無いといってもよいという事になるらしい。
だから、2〜3万ながら矢鱈に周波数帯域の優秀なスピーカーが量販店などに出回っているのは、要するに僕ら消費者が悪いという事になるようだ。
つまり、食紅で真っ赤な蛸しか買わないとか、胡瓜や大根や長芋も真直ぐなものしか買わないとか、そうした次元と同じ事で、本質よりも見た目を重視する発想と同じ理屈になると考えてよいだろう。
生産者は売れなければ困るから、食紅が体に毒だろうが薬だろうが兎も角真赤っかに塗りたてちまう。流石に近頃では暮れの御徒町でもこんな蛸は滅多に見掛けないが、一昔前は真っ赤っかが常識だった。
食の安全が叫ばれる現在でも、野菜などは相当にいかがわしい色付けや型の細工、或は遺伝子の組み換え、延命処置などをしてあるものが出回っているようだ。
そういうものでなければ、僕らが買わないから、言い換えるなら、音が良かろうが悪かろうが最低でも20Hz〜20KHz出る事にしなければ買う人が居ないから、メーカーは無理してでもこういうものを造るし、測定の仕方で再生周波数表示などどうとでも云える事でもあるから、何が何でもこれ以下の数字は発表すまいとする。
基より、こんな数字は音質には何の係わりもない事で、それは曲った胡瓜も真っ直ぐな胡瓜も味や栄養価に変わりが無いどころか寧ろひん曲った胡瓜の方が(自然栽培)数段勝るというのと同じ事であるようだ。
従って周波数50Hz〜15KHzのオイロダインのスペックは、実質的に巨大空間における再生音に何の不足もないということを示しているのだが、既に各メーカーの宣伝文句に毒されてしまっている僕らは、この数字に目を疑い「そんな程度のものか」と吃驚して「大したこと無い」と見下してしまう。
でも評判は最高だから、それを僕らが住むマッチ箱の中の更に小さな書斎で鳴らそうと思う人もいる。結果的に手にはしなかったが自分がそうだった。
マッチ箱の中で鳴らすオイロダイン、実際は劇場の体積分の部屋の体積程度の実力も出せないのではあるまいか。
第一天井高が違い過ぎる。一般的な家庭用のスピーカーだって100%の実力を発揮させるには本当は5メートル以上の天井高を必要とするが、我々の住むマッチ箱の天井高は多寡だか2m半程度が通常の高さである。
単なる大音響ならば出そうと思えば出せるのかもしれないが、音楽としてはとても聴けたものではあるまい。今更ながらこんなものを買わなくてよかったと再度カタログを見直してそう思った。オーディオ関係者の誰もが口をつぐんで決して口外しないのは部屋と音響の関係に付いてである事は知っておいた方が良いだろう。
本当の事を言ってしまうと、メーカーも評論家も雑誌も売れなくなって都合が悪いから口外しないのである。当時本気で購入を考えていた事が「阿呆なことだった」とはそれを知った今だから言うことが出来る。
「クラングフィルム」、ただの社名だそうだが何とも響きがいい。これだけで部屋中に心地よい音楽が広がってくるような錯覚すら覚える素敵な名称である。
僕はドイツの映画館で映画を見た事が無いから、オイロダインの本当の実力は知らない。
旧日劇には確かWEの巨大なホーンが入っていて、解体時に誰がかっぱらうかと話題になったらしいから、日劇で観劇した人達は知らぬ間にWEの劇場音を聴いていた事になるが、クラングフィルムを使っていた劇場や映画館となるとまず聴いた事がない。少なくとも僕は知らない。
そのオイロダインを今頃になって某所で聴いた。
まあ、一般家庭ではあまり望めない広さの部屋にデンと置かれたオイロダインは壮観であり、愛想もこそもない如何にもドイツ的な武骨さが却って、変な例えだがローライの写りの良さの様な、カメラの武骨さとは真逆の効果を期待させるのと同様、見ているだけで素晴らしい音が聞こえてくるような気さえしたものだ。
期待に胸を膨らませていざ鳴りだしたこの時の落胆はだから筆舌に尽くしがたい。
音はか細く、妙に高音ばかりがガラスを引っ掻くような音でキーキー鳴りだした。
おそらく原因はオイロダインそのものではなく他に有ったのだろう。配線間違いとか、プレイヤー周辺、或いは真空管・コンデンサー不良、等々、そして何よりも部屋。
それにしても酷かった。
ドイツスピーカーが如何に優れたものかは日常聴いているつもりだから、その遥か上位機種のオイロダインがこのていたらくである筈が無い。いや、このような音で許される筈が無いと思ったが、これはオイロダインが悪いのではなくて、映画館の大空間に向けて、且つスクリーンの後ろに置いて鳴らすように出来ているスピーカーを書斎に持ち込むこと自体が間違いだと云うべきなのだろう。
ここで聴いたか細い音を完璧主義のドイツ人が母国の映画館で鳴らして、経営者も観客もそれで満足する筈はなかろうとも思った。
あの若かった頃、首尾よく入手出来ていたら僕のオーディオ人生は悲惨なものに変わっていたことだろう。
何時か本当のオイロダインの音を聴いてみたいが、何処で聴く事が出来るのか今のところ当てが無い。
一昔前FMファンという雑誌があった。その創刊号のグラビアに野口さんという方のオーディオルームが掲載されていたが、この人は桁違いな人でコンサートホール程の広さのオーディオルームに有名どころのスピーカーがごろごろしており、壁にオイロダインが嵌めこんであったと記憶している。もしかしたら此処で聴く事が出来るかもしれないと思うが、とっくに物故されたのでどうにもならない。
カタログでオイロダインには2m×2mという平面バッフルを指定しているがこのサイズはどう考えても「最低これだけ必要ですよ」ということであって、何に依らず無限大を理想とするのが平面バッフルならば、オイロダインのバッフルが2メートル四方で充分というものではないにまっている。
然るに、その最低限の寸法だって家庭に持ち込むにはかなりの無理がある事が容易に想像できる。バッフルを左右の隙間なくピッタリくっ付けて置いても横幅4メートル必要である。
勿論これでは何かと不便だから実際は最低でも5メートル必要になるし、天井高は通常2.3メートルと考えて、部屋に入れるだけなら何とかなるだろうが、これもぎりぎりでは何かと苦しいだろうから少し余裕を持たせるとして3メートルほどは必要になるだろう。そしてバッフルの後ろにも最低2mほどの空間が必要になるし、今度はスピーカーから何メートル離れたところで聴くかを考えなければならない。最低でも8mほど必要とすれば、部屋の縦方向は10メートル以上必要になるだろう。長手10メートル、横幅5メートル、天井高3メートルが、オイロダインの最低条件のバッフルを置くスペースとして必要という事になる。
そしてこれは最低条件だから此処までやったからといって満足に鳴ってくれる保証はないのである。
メーカーも発売元も売れるものなら売りたいから、家庭用として組み上げる最低限の規格を無理やり発表した事を恰も証明するように、某所の音は再度云うが酷い音だった。低音など出てこなかった。
オイロダインはドイツスピーカーの代表格だから、ドイツスピーカーは劃して、つまりこういう物を家庭に持ち込ませようとしたから評判を落とし、我が国で普及しなかったのではないかと思われる。これは実に残念なことだ。
シーメンスにはコアキシャルという25センチウーハーの同軸上に9センチツイーターを装備した小劇場用のスピーカーがあるがこれを1メートル四方の平面バッフルに付けたものも他所で聴いた事があるが、オイロダイン同様汽瓠璽肇觧擁のバッフルでは音にならないのだろう、これも酷いものだった。
カタログにはもう一つスタジオモニターの「オイロフォン」とかいうスピーカーも載っていた。
W460,H1050,D310、2WEY,7スピーカー、アンプ内蔵密閉箱。
中高音は口径の記載はないが8僂曚匹諒を拡散方向を変えて4個、低域用も口径の記載はないが20センチ程のコーンスピーカーを3個、という構成である。
「透明な音質は苛酷なまでに音源の判断を可能にします」とあるから、音という音は細大漏らさず再現しますよ、と云っているわけで、だからこそアンプ内蔵なのかと推察するが、「高域、低域共3db、6ステップの調整が可能」とあるし、「壁面に接近して使用できます」とあるから、敢えて業務用のスピーカーを家庭に持ち込もうというなら、大空間を要しないスタジオモニターの此方の方が扱いやすいかもしれない。尤も今でも発売しているかどうかは知らないが、カタログに記載されているくらいだから日本の何処かに存在するものと思われるので、何方か探してみられては如何だろう。
ヴァイオリンを弾く友人T君はELACの何とかいうスピーカーを使っているが素晴らしいとべた誉めである。僕は聴いていないから何とも言えないが、ELACのSTS322というMMカートリッジを愛用しているので、同様の音造りであればべた誉めも当然かと推察する。ドイツの音造りにはイギリス、アメリカとはまた違った如何にもドイツらしい堅めの哲学の様なものを感じさせる。
WEに代表され、JBLやアルテックで一般化したアメリカスピーカーも僕らを魅了するに充分な魅力を持っているが、イギリスのタンノイやヴァイタボックスは音の品性に於いて遥かにアメリカ系を上回る。全てそうだという訳ではないが、概してアメリカ系のスピーカーはジャズ、ロック系の音楽に適しており、其れ程の品性を必要としないのは云ってみればお国柄かもしれない。
どうあれ、ドイツスピーカーの胸を張ったようながっちりした、且つ繊細な音造りの魅力が正しく紹介されていない事は、オーディオ大国日本として画竜点睛を欠くと云うべきだろう。
4、5年前、捨てられていたラジオから外したような、ボロボロのドイツスピーカーがネットオークションなどで出回ったが、こうした事を積み重ねた結果がドイツスピーカーの評判を落としてしまったのではあるまいか。
あの手の8僂曚匹離好圈璽ーはおそらくラジオから外したものと推察され、もしそうなら所詮人の声さえ満足に聴く事が出来れば事足りるので、其れなりの性能にしか造られていないだろう。それを50円か100円か或いは1000円か知らないが塵の山から安く拾って来て、オーケストラを鳴らし「フィールドスピーカーで御座い。付いては20万円頂きます。此方は上等のテレフンケンなので100万円頂きます」、これでは評判が落ちるのも無理はない。
スピーカーで一番難しいのは箱だという事は今更めく話で、とうに皆様御承知の通りである。
ただ造るだけなら大工仕事でも出来るが、ユニットの実力を実力通りに鳴らす事はそう簡単に出来ることではない。
指定の寸法で造ったから音になるかといっても、まずまともな音になった例を僕は知らない。無論素人仕事でも偶然の大当たりが無いとは言えないが、エンクロージャーの自作ばかりは決してお勧めできるものではない。
尤も、どう造ったって、音は出るに決まっているので、願望から僕らはつい錯覚する、出来たてのほやほやの時は「なんて良い音だ」と思いたいのである。
そして、JBLやアルテックのユニットを使っているんだから良い音に決まっているというブランドに対する先入観がまた僕らの耳を錯覚させる。
回路図通りに組み上げれば一応回路図通りの音が出るアンプなどとはわけが違って(これだって部品配置や配線方法等で俄然音は違ってくるが)目に見えない空気の振動に関する計算と現実の音の間には大きなギャップがあるようだ。
だが逆の事もあるだろう、コーラルのスピーカーユニットだって、箱を旨く造れば素晴らしい音に仕上がるかもしれない。今も云った通り偶然の産物が成功をおさめないとは云えないから、つい期待するし箱造りに嵌るのである。
この事は自作エンクロージャーに限った事ではなく、他社製造の箱つまり指定寸法に依る本職の仕事だってユニットがまともな音を出した例を聴いた事が無い。
まして、他社独自の設計によるエンクロージャーをや、である。
タンノイ然り、JBL,アルテック然りオリジナルとの音質の差は歴然としている。
古くはヴァイタボックスのコーナーホーンに物凄い奴があった。大メーカーともあろうものがよくぞここまでやってくれたものだとほとほと愛想が尽きて、以来このメーカーの物は何によらず買った事が無い。こういう音造りを平気でやる音響メーカーを信用出来ないのである。指定寸法という触れ込みながら、どう造ったってここまで酷い音にはなるまいと思うが、それがちゃんとそうなっているのだから驚く。
件のラジオ用スピーカーも当然箱を作らねばならないが、素人仕事も本職仕事も含めてちゃんと音になった例があるんだろうか、甚だ疑わしい。
僕の知っている限りでは、自称スピーカーの専門家の造ったへんてこりんなバッフルなど随分杜撰でいい加減なものだった。言うまでもなく音は出ていたが音にはなっていなかった。
会社の大小を問わず、どういうものを造るかというメーカーのコンセプトは、要は経営の先見性に加えて教養とセンスとモラルを根本とする筈だから、これが無いメーカーは気楽なものである。何でも有りなのだ。要は「だからこのスピーカーは良いのですよ」という話を造ってしまえば良い。
僕らはだから自分の耳をしっかり信じて、良い悪いもさることながら、好きか嫌いかをしっかり耳で判断したら良いのだろう。JBLだから好きなのではなくて、眼をつぶって聞けば自分の好き嫌いは誰に教えてもらわずとも基よりはっきりしている筈だ。
その耳で是非ともちゃんと整備されたドイツスピーカーの音を聞いてみては如何だろう。
ただし、どうしてもオイロダインをというなら、閉館した映画館を買ってしまうのが早道だろうから相当の費用も必要になるに決まっている。だが、価値はあると思う。
勇者の出現を期待して、是非とも聴かせて頂きたいものだ。


         

 


我が、蹉跌のオーディオファイル #27.真空管かトランジスタか

                    
                     真空管かトランジスタか

今更めくような話だが、
もう随分前ライカかコンタックスか、要するにどちらが優れたカメラかを巡って大の大人が頭を沸騰させ、文字通り口角泡を飛ばして口汚くののしり合った何とも楽しい論争があった。
議論は尽きず、出る訳の無い結論は遂にというかやはり出ずに、デジカメの出現でフィルムカメラが衰退するという決定打を食らって、つい先日まで古老達が忘れかけた記憶を呼び起こして細々と論争を繰り返していたが、そうした光景も最近では殆ど見られなくなり、結局有耶無耶に終わってしまった。
議論そのものが不毛という以外になかったから、結論が出なかったのは当たり前だったにせよ、何とも愚かで楽しい論争だった。こういう愚かさが人生に味を付ける。
そして、こうした論争を冷ややかに俯瞰する人がいるのも人の世の風情というもので、全く愉快であった。
個人的な感想だが、カメラの姿、使いやすさではライカが良いと思ったし、写り、特に広角系はコンタックス、つまりツァイスのレンズが優れていたように思う。
一時ライカD兇膨名錣任鷲佞韻觧の出来ないツァイス・ビオゴン21ミリを加工して取り付け、使った事がある。金が必要で売ってしまったが、これ一台で普通の風景なら撮れない写真は無かった。素晴らしい出来栄えのカメラに仕上がっていたと思う。
要するに良いとこ採りをしたわけで、通や収集マニアから云わせれば言語道断の暴挙だったのかもしれないが、通がどう云おうと良いものは良いので、何もかもが純正でなければならぬと決めて掛るのは「なんでも鑑定団」に任せておけばよい。実用の世界では何でもありの良いとこ採りは大いに結構なことだと僕は思っている。写真は撮った写真が良くなければ意味がないから「カメラは写真を撮る道具に過ぎない」と言い切る人も居る。
そう聞くと悟り切ったようなもの云いが何とも味気無くて面白くない。
それを「オーディオは音楽を聴くための道具に過ぎない」と置き換えてみると,今度は味気ないばかりでなくて、色々工夫して高音質を目指し、泣き笑いを繰り返してきた人達にはある意味不愉快ですらあろうが、真実は突いている。
その昔、オーディオの世界にも真空管が良いか、論争にまでは発展しなかったもののライカ、コンタックス論争同様真空管かトランジスタかを巡って不毛なやり取りが一部にあった。当時のトランジスタ技術の未熟もあってか、大方の通は真空管に軍配を上げていたように記憶する。
新技術を否定する行為は、何やらその道に通じた権威的印象を他に与えるという効果も重宝されたのかもしれない。
僕は通ではないが、柄にもなく真空管の軟らかく優しい音の方が好きで今でも真空管アンプを使っている。
アンペックスやWEの回路でイコライザーを組上げた事を数回前の駄文でご紹介した。
無論真空管である。
我ながらよい出来栄え、と云うのは間違いで、アンペックスやWEが如何に優れた技術を持っていたかが実証出来たと云うのが正しいが、出来上がったイコライザーの自画自賛はイコールアンペックス、WEへの賞讃だから、間違ってはいないと確信しており、僕などが今更くどくど言うまでもなく、真空管の音は素晴らしい。
惜しむらくはもう少し合理的な部品配置と配線をし、もう少し工作技術が良ければ、更なる高音質を期待できたかもしれない。こういうところは素人の手に負えるものではないと思う。
また、球によって音が変わってゆく楽しさを味わえるのも真空管ならではの事で、トランジスタを変えて音の違いを楽しもうというのはちょっときつい。
そんなこんなで、40年来真空管を使ってきたところへ、ベネターサウンドのVT−MCTLというヘッドアンプを導入した話も以前お話しした事がある。
このヘッドアンプは明らかに昇圧トランスよりも僕の好みに合っていたので、その日の内に付け換えたことも合わせてお話した。その時触れているので細かい事は省くが、透き通った明快な音である。
トランスの音に対して、人には云えぬ密かな不満や悩みを持っている方は一度聴いてみる事をお勧めしたい。多分欲しいと思われることだろう。
音楽によってトランスと置き換えてみるのもまた一興というものである。
このヘッドアンプは真空管ではなくトランジスタを使用している。
見直したというか、多分に食わず嫌いの面が強かったトランジスタも使う箇所に依っては遥かに真空管を凌ぐことをMCTLは実証したと言って良いだろう。
ライカにツアイスを取り付けるくらいだから、良いものは無条件で採用する「結果良ければすべてよし」は信条でもあって何の抵抗も無かったのである。
mpeq
この開発から数カ月して、彼等はモノーラルイコライザーアンプVT−MPEQを発表した。
音の傾向はMCTL同様、すっきり、明るく、明快な音である。
嬉しいのは、国際規格のRIAAと、NAB,COLOMBIA,AES,RCAとアメリカ系4種類のイコライザーカーブの切り替えが出来るのに加えて英デッカのFFRRが選択できる事である。計6種の切り替えが出来る。
ffrr
僕はクラシック主体だからFFRRは実にうれしい。
今迄RIAAで聴いていて、何処かくすんだような音で鳴っていた英デッカ盤が、霧が晴れた様な、まるで別物のレコードのように艶のある音を響かせた。今更ながら英国の音造りの品性と奥の深さを聴いたように思う。
カーブの違いなど実は耳を澄ましてよく聴かねば聴分けの難しいものだと思っていた。
偶々このレコードが大当たりだったのかは分からないが、こうまで違ってくるとは聊かビックリである。
聴いたレコードはデッカの黄色ラベルの10インチ盤、レコード番号LX-3083,バックハウスとクレメンスクラウスのベートーベンピアノ協奏曲2番である。ジャケットにもラベルにもでかでかとFFRRと耳のマークが印刷されており、要するにFFRRという録音技術で録音されたものである事が示されている。余談だがFFRRというのは本来再生カーブを示すものではなく録音技術の略称である。だから真逆のFFRRの再生カーブで再生するのがベストだという事になる。しかし「FFRRと印刷されていてもリマスター盤などはRIAAでカッティングされているレコードもある」と言う研究者もいる。
言に拠ると「それを正確に確認するにはマトリクス番号(レコードをプレスする鋳型の番号)を確認する必要がある。マトリクス番号はレコード内周の無音部分に(更にレーベルのレコード番号の上に何故か逆さに印刷されている)刻印されていて、デッカとロンドンに限っては、リマスター盤には番号の末尾にRの刻印がある。それはRIAAである」そうだ。
僕のレコードはDRL−1291−2Bだから紛れもなくFFRRで録音されカッティングされた英国デッカ盤ということになるのだろう。従ってFFRRの再生カーブで再生するのがベストだったわけで、上記の高音質が得られたことになる。
ステレオ時代に入るとデッカの録音技術はFFRRからFFSSに変更され、デッカ及びロンドンのステレオレコードのレーベルにはFFRR同様FFSSの印刷がある。ラベルの上部や右肩等に丸く紋章のように印刷されているのですぐ分かる。
デッカやロンドンはこのように録音技術だけは明示しているので、ある程度再生カーブの見当をつけることが出来るが、世界各国各社の幾多のモノーラル再生カーブに関しては各社実に曖昧であるらしく、ロールオフとターンオーバーとローリミットの3要素がバラバラに、しかも複雑に入り組み、高域はAESで低域はコロンビアに近いというような録音が為されているものもあって、単純にこれは純粋なAES,或はNABと決められない要素も多々あるようだ。
それなら、録音技術者某の感覚で録音されたそのテープをカッティング技術者某の感覚でカッティングされプレスされたレコードのカーブがどの規格に近いか、という逆の発想で考えた方が分かりやすいのかもしれない。
が、要するに雲を掴むような話である。
僕ら日本人は決め事を律儀に守ろうとするが、欧米諸国民はそうではなくて、特に音楽録音は芸術に関わる仕事だから尚更、会社の規格を正確に守っていたのでは質の高い仕事が出来なかっただろうと推察できるし、仮に規格を守ったとしても、原音に依ってカーブの微調整をしただろう事は寧ろ当然と云ってよいのだろう。
マトリクス番号にはそれを裏付けるような文字が刻印されているという。
DRL−1291−2BのBのことである。これが何を意味するかを調べた人も居て、どうやら録音技術者のイニシャルではないかとのことだから、もしそうなら音造りの大半を担う録音技術者の音楽的センスと教養がこの一文字に凝縮されている事になり、それが正しいなら所謂通には重要な文字に当たる事になる。
その文字から、あの技師の録音かと分かる人がどれほどいるかは知らない。余程の専門家でなければ分かるまいから、当然こうした刻印が消費者に向けたものでないことの検討はつく。一種の内部資料のような意味合いなのだろう。
レコードの音楽性と音質を決定するのは何なのかを言うなら、盤質(盤の素材)と正にこの録音及びカッティング技術者の音楽的教養とセンスに尽きるのだろうと常々思っていた。
どんな原音もそして録音技術も最終的には彼らが調整した音で録音されカッティングされる。
その技術者達がどの様な職人技を見せるのかがレコードの質と価値決定の勝負どころならば、今も言ったように様々な原音に対して、技術者としては決められたカーブだけに固執していて満足出来る筈はあるまいから、各メーカーの規定のカーブですら正確に守らなかったというのは充分に推察できることであり、寧ろ当然の事だったと言っても過言ではあるまい。
しかし、業界全体の事を考えるなら大筋の規格は統一しなければならない。という事も一方の論理であり、それもまた当然の成り行きだったろう。
が、こういう話もある。他の研究者に拠れば「ステレオ時代のデッカはFFSSを最後まで貫いた」そうだから、ならばRIAAは無視していたことになり、そうならリマスター盤ばかりでなく「1955年頃以降デッカはRIAAに移行した」という前出の研究者の説は間違いだということになるのか。
どっちが正しいか僕には分からないが、以下の事は事実である。
所持している英ロンドンのLL 632/633の2枚組、エーリッヒ・クライバーとウィーンフィルの第9。箱にもレーベルにもでかでかとFFRRと耳の印刷があるが、一面のマトリクス番号はARL 1295−2D Rとあるから前者の説によればリマスター盤という事になる。
聴いた限りでは明らかにRIAAの再生が優れていた。
もう一つ、所持しているロンドン盤スタンレー・ブラックのポピュラーの2枚。一方にはマトリクス番号の末尾にRの刻印があり、一方には無い。盤質も明らかに前者が新しいから前者はリマスター盤後者は初期盤という事になるが、双方共ジャケットに「FFRRで録音された世界一優秀なクオリティーを持つレコードであるが、RIAAカーブで再生せよ」と記述があり、成程これも明らかにRIAAでの再生音が優れていた。
という事はFFRRでテープに録音し、RIAAでカッティングしたという事になるのだろう。そして、双方共ラベルにMade in Englandの印刷のあるアメリカ発売のロンドンレコードである。
デッカとロンドンのレコードで注意すべきは、FFRRやFFSSの表示は飽くまでもFFRR・FFSSという録音技術で録音されたという表示であって、必ずしも再生カーブを表すものではないという事になるのだろう。先にも云ったがこれらは録音技術の略称だから表示の間違いではないという事になる。RIAAが国際規格になって以降のリマスター盤に関してはデッカに限らず初期盤とは再生カーブが違う可能性があるようだ。何れも要注意である。常識的には大概RIAAと考えるのが妥当なのだろう。(無論聴いてみなければ解らない話だが)どうあれ、表示されている録音技術と再生カーブを混同しないことである。
また、こういう事もある。デッカはFFRRでもFFSSでもそれらで録音したレコードには必ず分かるところに表示しているのだが、「その表示の無いレコードがあって、それは何らかの理由でRIAAで録音されたものかもしれない」という説である。
しかし、FFRRより以前のオールドデッカの録音と言うのもあるらしいから、そういうものには当然何の表示も無いわけで、それがRIAAだとは思えない。
某世界的音響メーカーの資料によればSP時代のデッカが既にFFRRであったようであるし、某研究者に依れば1953年頃以前のデッカカーブをオールドデッカとするのが妥当らしく、その場合は高域をRIAA,低域をAESにすれば代替え出来そうだという事である。
どうにも解り難い。
が、更にこういう事もある、無表示のデッカ盤を僕は持っているが、箱はアメリカのものである。二組持っておりどちらも同時代のレコードと思われる。
この二組を聴いた感じでは、一組はRIAAが良く、もう一組はFFRRが良かった。米デッカはRIAAだという説もあるが、デッカの鋳型を輸入してプレスしているものもあるというからいよいよ分からない。
僕の聴いた感じというのが錯覚だったかもしれない。
このレコードはゴールドラベルとやらいうもので、通常のデッカのラベルとはちょっとデザインが違う。察するにアメリカ録音であったかもしれない。では再生カーブはなにが正解なのか。
分らん.分らん。
更に、FFSSはFFRRの名称を単に変更しただけのことだ、という説もある。ならばFFRRとFFSSの違いはモノかステレオかの違いだけで録音技術そのものに変わりはないという事になる。その場合カッティングはどういうカーブでなされたのか。
諸説紛々である。奇怪と云う以外にない。
デッカ一つがこの有様である。しかもデッカは録音技術だけはきちんと表示しているからこれでも他よりも遥かに見当を付けやすい。
こんな次第だから、再生カーブに関する研究者が異口同音に出す結論が「最終的には耳で確認するしかない」というのはきっとそれが正解なのだろう。
だからという訳ではないが、僕も選んだカーブが正確であろうが無かろうが、自分の耳に心地よいカーブを選んで聴く事にした。
理想を言うなら、ロールオフとターンオーバーを独立させ無段階可変式にして一枚一枚聴きながら調整するというのが良いのかもしれない。
しかし、この場合耳に依って選択したカーブが録音時のカーブと一致するという保証は全く無い。ならば、各レコード会社の(全世界にかなりの数がある)データ一覧表を基にして、基本の数価を目盛りで押さえてから微調整してゆけば良いのかもしれないが、各社のデータそのものが上記のごとく曲者だから、本当のデータが揃うという確証はない。
確かな事がある。
RIAA以外のカーブで録音、カッティングされたレコードの再生は、RIAA以外の何れかのカーブで再生した方が良いに決まっているという事で、ちょっとくらい誤差があっても随分音の輪郭がはっきりしてくるし、音に艶が増してくる。
引っ込んでいた伴奏が俄かに明瞭さを増したり、熊手でドラムを引掻く音が鮮明になったりする。
先のDRL−1291−2Bばかりでなく、米コロンビア盤、レコード番号RL 3068,良き日のカラヤンとウィーンフィルのベートーベン5番とモーツアルト39番、はその名の通りコロンビアカーブでぴったり符合。RIAAで聴くのとは全く別物の鳴り様である。
細部まで明瞭であり、何よりも迫力が違う。RIAAだと何処か掠れたような音がしていて、長い間放ったらかしておいたレコードが見事に甦った。
この様にぴったり壺にはまった時の音はまったくこたえられないから、つまり、これ等再生カーブが符合したレコードは録音技術者・カッティング技術者が意図した音に極めて近いところに到達していることになるから、それを可能にするMPEQは一度聴いてしまうとSPやモノLPの再生には欠かせないアンプになる。
カーブの問題は知りさえしなければRIAA一つで充分だが、その違いを知ってしまうと間違い無くそれだけでは済まなくなる。
そしてモノを2台使えば当然ステレオで使える訳だから、某研究者がおっしゃる様に「ステレオ時代に入っても国際規格のRIAAはあまり守られなかった」というのが事実ならば、モノ2台でステレオとし、且つ6種類のカーブが選択可能な究極のステレオイコライザーアンプとなるわけで、ベネターサウンドの廻し者ではない事をお断わりした上で、こうした使い方も大いにお勧めしたいところである。
僕は実際に試してみたが、カーブの問題はさて置き、音の素晴らしさは抜群だった。
トランジスタ臭さが無いのも不思議である。評論家ではないから尤もらしいスペック的な解説は出来ないし、意味も無いので、一度貴方の耳で確かめてみる事をお勧めしたい。
寧ろ真空管派の方にお勧めしたいとも思う。
型を知った上で型を破る、殻を破ることから進歩が始まり新しい世界が開けてくることはオーディオも例外ではない。しかしその一歩が踏み出せないというのも人情だから、それも良く解る。しかし、一度聞いてみる事で知識と経験が増えることもまた確かであると思う。
それに、クラシックではこうした再生カーブが複雑に入り組んだモノ時代に名演奏が多い。
それをより良い音で聴く事が出来ると云うのは至福という以外にないが、ジャズやその他の音楽ではどうなのだろうか。ブルーノートなどはRIAAとはかなり違うカーブの様だが。ジャズはこのレーベルに名演奏が多いと聞いている。
今迄聴こえなかったかすかな伴奏音などが聴こえてくるかもしれないし、音場の雰囲気がより生々しく伝わってくるかもしれない。それは古いライカの描写にある空気感の様なものと言ってもよいのだろう。
このMPEQ,メーカーがトランジスタだと言っているのだからトランジスタなのは当り前で真空管ではない。
しかし、今も言ったように、真空管かトランジスタかという比較レベルの音の差が聴き分けられない。
今までずっとプリアンプは使わずに、真空管イコライザーをメインアンプに直結して聴いてきた。MPEQにはVRが付いていないのでプリを通す事になるが、真空管イコライザーとの音質の差は無いように聴こえるのである。
或いは此方の耳が悪いのかもしれない。
だが、論争の結論だけはどうやらMPEQで出たようだ。
音さえ良ければどっちだって良いではないか。まぜこぜで使ったって一向構わない事ではないのか。
純正で半腐りのWE部品で半腐りの音を聴くよりも、ものによっては技術革新の著しい部品を使った音の方が良いかもしれないし、WEをやるなら、WEの回路を利用して高品質の部品で組上げる方が今や優れたものが出来ると僕は思う。腐っても鯛という事は理解できるが、半世紀前の古物を使って当時の音質を再現する事は極めて難しいだろうと思う。
オーディオは今やNETオーディオの時代に入っている。
どうしても真空管でなければと思うのはパワーアンプくらいのものではなかろうか。
こればかりは原理が発明されてから(125年前から)その原型を変えていない、或いは変えようの無い化石オーディオ機器「スピーカー」を駆動させるのが仕事のアンプだから、特に古いフィールドやアルニコのスピーカーにはどうしても「真空管アンプ」を必要とするのだろう。
オーディオで最も重要な部分がガリガリのアナログ機器であり続ける以上、アルニコを使っている僕として、真空管を切り離して考えることは現状では出来ない。
だが、先日某所で聞いた大型コンデンサースピーカー(ソニー製)の音はしかし、真空管では十分に鳴らないかもしれないという印象を受けた。
何事も一概に言い切ることは出来ない。適材適所ということだろう。
オーディオに於いて信ずるべきは、他人の百万言よりも唯一自分の耳のみである。
真空管が良いかトランジスタが良いかは「どちら」と軍配の上げられない話なのだろう。
自分が聴いて心地よい方を選べばよいのだと思う。


我が、蹉跌のオーディオファイル #26.続 レコードの塵

                        続 レコードの塵

この一年間、毎日のようにせっせとレコードを磨いている。
いい年をして馬鹿みたいであるが、ノイズの無い音で一度録音してしまえば、本当の老後を楽しく過ごせそうな気がしてやっているのである。
尤も、本当の老後というのを何歳くらいから考えればよいのかよく解らない。
長寿の伯父が居て、犬の散歩には出るし、塵も自分で捨てにゆく、矍鑠として97才である。
先日数年ぶりに訪問した折、確かに数年前より幾らか老けた感じが否めず、まあ、ここまでくれば、確かに老人と呼べるに相応しい風情を漂わせていたから、この辺りを本当の老後と考えてよさそうに思う。無論そこまで生きていればの話で、そこらがどうなるかは解らないけれども、仮に生きたとして、さて、その歳でレコードを満足に掛けられるだろうかと改めて考えながら、この日一日叔父を観察して、レコードを掛けるというたったそれだけの事ながら、例えばレコードの端っこに正確に針を降ろすという手作業はかなり厳しくなるだろう事が判明した。
レコードに針を落とす時、手元が震えて狂い、変なところに針を落としてしまってピックアップを壊してしまう、といったミス、そしてそれに類するミスを連発する事だろうと見てとった。
だから、今やっているPCへのレコードの収録は間違っていないだろうと、一人納得した次第である。
PCならクリック個所を間違えたってそれでPCが壊れるような事はないし、レコードの掛け替えに一々席を立つ、という行動そのものが無くなることになる。
この立ったり座ったりという動作が、老人にとってはけっこう危険を伴うという事もこの日改めてよく解った。
伯父は、娘が注意するのを聴かずに足を組んで腰掛けていたが、手洗いに立った瞬間にころりとひっくり返った。昔から咄嗟の判断の良い人だったから上手く壁にも凭れて事なきを得たが、これで足腰を骨折でもしようものならその日から寝たきりを余儀なくされていたかもしれない。足を組んでいると血の循環が悪くなって、超高齢者にはこういう事が儘起り得るのだそうだ。
「それ、ごらんなさい」と娘に叱られ、照れ臭そうにちらりと僕の顔を見たが、兎も角、転ぶという事は老人にとって最も危険な事だから、レコードの掛け替えなど、どうという事のない動作にも確実に老人への危険は潜んでいるし、その動作の頻度が増す事はイコール危険に遭遇する頻度が増す事だから、やはりかなりしんどい事だと目前の現実を見て再確認することにもなった。
だから、元気でいるうちにせっせとレコードを磨いて塵を取り除き、ノイズの無いよい音で収録しようという試みはやはり間違っていないと、この日二度も思いを新たにした次第で、いよいよ塵取り作業に熱も入ろうというものである。
小さな棚一つ分のレコードをこの一年で磨き上げて収録してきたが、それにしても、この作業はつまらない。
同じ作業を何回も繰り返す、そしてこの作業は負からゼロへ持ってゆくのが目的だから、作業そのものには何の生産性も無いというところでバカバカしさが倍増する。
「ああ、野麦峠」のような、当為に近い労働では無論なくて、自分から進んでやっている事ながら、乙女たちの哀歌も何処からか聴こえてきそうな切なさも伴う、単純で面白みの欠片もない作業である。
だが、レコードの収録にこの作業は欠かせない。
面倒がって少々のノイズならと其の儘録音してしまうと、必ず後悔する事になる。
録音ソフトなどに付属しているノイズリダクション機能は、メーカーが何と言おうと、確実に音質が劣化するから、基本的に使わない方が良い。(素人の手に負えるものではないとも云っておこう)少なくとも僕はどんなに条件の悪いレコードにもこの機能は使わないようにしている。旨く行ったと自信たっぷりな録音も、暫く時間をおいて聴き直してみると、随分と音がもやもやしている事に気づいて、結局レコードの塵取りからやり直すことになる。
一にも二にも、収録前にレコードの塵を取り除く、これにしかず、である。
だがこの作業、つまらないばかりか、思ったほどうまく行かない事が多い。
例えば、レイカのクリーナーでクリーニングする時、しつこい汚れにはクリーニング液をたっぷり使って強く拭き取る。ビスコ33という拭き取り様の紙は極めて優秀だから、クリーニング液で盤面が湿ってさえいればレコード盤に傷が付く事はまず無いので、ここはしっかり拭き取る。そしてクリーニング後は充分に乾燥させてから針を降ろさないと、レコード盤、ピックアップ共に傷つける可能性大である。何でも計算上はあの小さい針先に1トン近い圧力が掛かっているというから、水分が残ったレコードに針を降ろす事は禁物だそうだ。おまけに盤面に残った水泡が新たなノイズの発生源になることもある。
だから、僕はクリーニング後必ず一晩乾かすことにしているが、それでも針を降ろした途端にパチパチと細かいノイズが出る事が頻繁にあって、こういう時は空で一回針を通すと2度目からノイズは急速に減少し、3回目には殆どのノイズが消え去るのだが、どうにも釈然としない。
この細かいノイズは何なのか。物よってはクリーニングして5回も針を通さねばきちんとノイズが消えないものもある。これでは針が持たないから、クリーニング用として安い針でやるのだが、問い合わせてみると通常は一発で決まるのだそうで、そうなら此方のやり方が間違っているか、今迄のレコードの保管状態が余程悪かったとしか考えられない。
中古レコードなら前所有者が如何なるクリーニングをしていたか、或いはしていなかったか、履歴が解らないから、一寸見綺麗でも信用は出来ない。
ニュースが一読しただけでは真実が見えないのと同様、中古レコードも外観だけでは履歴が解らない。以前某君の使ったクリーナーの残滓がこびり付いている事もある。
これがなかなかな曲者で、ただのゴミより余程質が悪く、取り除くのにけっこう苦労する。
自分のレコードも50年以上前に買ったレコードの手入れが如何なるものであったか、概略くらいは覚えているが、そもそも碌なクリーナーが無かった時代の事だから音溝にどういうものが詰っていても不思議はないのである。
問題は履歴のはっきりしているレコードに付いてである。きちんとクリーニングし、保管していたものに付いては自負もあるから、クリーニング後にノイズに悩まされるというのは納得がゆかないのである。
汚れがひどいレコードにはたっぷりとクリーニング液をかけ、新しいビスコ33でしっかり拭き取ると今も云ったが、それで納得行かなければ2度続けてクリーニングするようにしている。こびり付いていた黴なども目視の限り、全く見られないところまでクリーニングする。
にも拘わらず、数回針を通さねばノイズが消えないレコードがある。肝腎な事だが、しかし、4回か5回空針を通せば塵に依るノイズはほぼ完全に消えるのである。
中に諦めてしまったレコードがあって、10日ほど放ったらかして、試に掛けてみたらノイズが消えていたと云うのもあって、それも一枚や二枚ではないからいよいよ訳が解らない。
やけっぱちになって放り出して置くとノイズが消えているなどという事は、理論的にも納得がゆかないが、そうは云っても現実だから受け入れるしかない。まあ、こういう方法もあるのだと近頃はクリーニング法の一つに勘定している次第。再度云うがこれでノイズは消える。そして、一発で決まるレコードも当然ある。この違いは盤面を一見しただけでは見分けがつかない。
気紛れな小娘みたいで扱い難いことこの上ない。まあ、小娘ならそれも一興、面白がってもいられるが、レコードの塵取りなどという余計な作業はスムースに行ってくれないと、ただ不快なだけである。
僕のプレイヤーにはアームが2本付いているから、先に一本走らせておいて、追っかけ本番の針を降ろすように、だから通常していて、これで大概のレコードはOKである。(先行するカートリッジだが、ものに依って振動が本番のカートリッジにノイズとして伝わる事があるので、要注意)
無論釈然としないが、怒ってどうなるものでもないから習慣づけているものの、いったい何が悪くてこういう事になるのか解らない。
二本もアームを走らせねばノイズが消えないなどという事が正常である筈が無いよね。
前回紹介した    でもこの状況は変わらないから、きっと僕のやり方が悪いのだろうと思うが、どうやってもこういうレコードが頻繁に出てくる。
プレイヤーの置いてある場所に、夕方になると太陽の斜光線が射し込み、季節と時間で微妙にその角度を変える。斜光線は普段の風景とはちょっと趣が違って、今迄気づかなかった、思わぬ風景に出合うチャンスをくれる事がままあるが、僕のプレイヤーも射し込む斜光線の角度によってカートリッジに当たった光がレコード盤に反射して、赤みを帯びて実に綺麗に映る事がある。そして、角度によってレコード盤の音溝が金色にきらきら輝く事もあって、カートリッジの赤とレコード盤の黒と音溝の金のコントラストがなかなかな風情を醸し出す瞬間がある。これが実に美しい。
何でも物には見方があるものだと感心していて、でも、ちょっと気になって回転を止めてみて驚いた。音溝の中にナノ単位の細かい塵が天の川の様に無数に光っているのである。
それでいてノイズは出ていない。
この塵は電灯の光では殆ど見えないから、完璧にクリーニングされているものと僕らは錯覚するが、微小な塵は、どうやらそう簡単に取り切れるものではないらしい。
つまり、同じ塵でもノイズの発生源になるには一定の大きさと硬さが必要で、それ以下の塵ではノイズは発生しないか、しても聴こえない程の微小なノイズであるのかもしれない。塵は塵でもチンピラの塵まで気にする必要は無いということなのだろう。しかし、それでも病的に取り除きたいというなら、3〜4回立て続けにクリーニングすれば取れてしまうのかもしれない。ここまでやれば完璧なんだろうけれど、極めて目視の難しい微小な塵はちょっとやそっとでは取り除けないものだということが、偶然ながら判明したのである。
兎も角、しつこく取れないノイズの発生源がやはり塵によるものらしいことがこれで分かった。
では何故一度針を通すとノイズが減少するのか、今度はそれが気になる。そして、3回4回針を通す度にノイズが減少してゆくというのが、どうにも分かり難い。
もしかしたら、クリーニング直後はこのナノクラスの塵がクリーニング液の水分で何個かくっ付いて、比較的大きな塵となって音溝に残って、それがノイズの発生源になって、だから、一度針を通すと、くっ付いていたナノクラスの塵を針が砕いて、この時塵は文字通り元のナノクラスの姿に戻り、ノイズは発生しなくなる。しつこく固まったままでいた塵も、度重なる針の来襲に耐えかね、遂に砕け散って、3回4回針を通す度にノイズは減少してゆき、遂にはノイズがほぼ完全に消え去る。
こいうメカニズムなのかもしれない。
こういう事があった。
クリーニング前も比較的きれいで、クリーニングの必要はないと思われた一枚。
それでもクリーニングして、外観は塵も黴も全く見なかったので安心して音を出したら、プツプツと小さなノイズが切れ目なく続き、そればかりか、レコード盤が擦り減って針との摩擦音が出た時の様なシュルシュルといったノイズが所々に発生する。外観とは裏腹に重症とみられた。もしレコードが擦り減っているのであればクリーニングで直る事はないから諦めるしかないが、そうとも思えなかったので、この時はプレイヤーを45回転にして2本のアームを同時に使って安針を通してみたところ、パチパチノイズは殆ど消えた。
だが、まだシュルシュルノイズが消えない。針先を見たら2本とも極小の塵が団子状にこびり付いたので納得し、同じ事を再度繰り返した。つまり、計4回空針を通した事になる。
本番の時も一本先行させるから、要は6回目の針が目出度く本番となるわけで、全くうんざりするが、これでシュルシュルノイズは消えたのである。
再度云うが、目視できるような大きな傷さえなければ、大概のレコードは斯くして甦るから、ちょっとやそっとのことで諦めず、特に、古い貴重な演奏のレコードを捨てる事は、宝を捨てるのに等しいから、この針クリーニングを試してみては如何だろう。
見えない塵、これが大敵なのである。
ならば、クリーニング液など使わずに最初から針クリーニングすれば良さそうなものだが、決してそうではなく、空針を通しても大きなごみは取り除けないからこれはクリーニング液でしっかり拭き取るしかないし、またしつこくこびり付いた塵の接着力を弱める効果は大だし、レコード盤を傷付けないで済むから、必須の事と思ってよいだろう。
ならばこんなことをせずに、最初からクリーニング液を使って3回4回クリーニングしても良いのかもしれないが、確実に音溝の全てをなぞってゆく針クリーニングも絶大な効力を発揮することを知っておいても損にはならないだろう。
しかし、それだけでは、10日ほどほったらかした後にノイズが消えるのがどうしてなのか、疑念は晴れない。
だが、まあ、ここらはどうでもよい事だ。僕に限ってはノイズが消えさえすればよいし、発生しても要は聴こえなければ良いのである。
其処の所を一発で決めるほどの、つまり強力なクリーナーでは、今度はレコード盤を痛めるのかもしれない。
尤も、レイカや    は純水が基本らしいからそういう事はないのだろうが、どうあれ使用者としては、やはり一発で決まってくれるに越したことはないから、何とかならんものかと思う事しきりである。
物にもよろうが、いかれてしまったものを元に戻すのは、新しいものを造るより難しい事がある。
レコードにこびり付いた塵を取るという事も、そうした部類の事柄に属するのかもしれず、厄介な事この上ないが、上手く塵が取れて新品同様の素晴らしい音を聴かせてくれると少々の苦労など何の苦にもならないものだ。
だが繰り返そう、一発で決まって欲しい。
そうでないと時間がもったいない。もう、後ろから勘定したほうが速いから、せっかちにもなろうというものである。


我が、蹉跌のオーディオファイル #25.レコードの塵

 
                          レコードの塵

音楽の友社から発売されていた「クラシックレコード総目録」が絶版になったのは確か1988年であったと思う。その最後の1988年版のサブタイトルには(CD及びLP完全収録)と記されている。その前まではレコード及びCDと記されていたと記憶するが要するにこの時点で既にCDとレコードの立ち位置は逆転しており、中を見てみるとCDとレコードが併記されてはいるものの、主だった作品はCDが主体でありレコードは序に記してある程度である。
ネットで検索してみると、1982年頃から発売されたCDは、僅か4年余りの1986年には発売総数でレコードを抜き、1990年になるとレコードの生産がほぼ終わった、とある。
つまり、88年という年は、既にレコードがCDに逆転され、駆逐される寸前であった事をこの目録でも確認する事が出来る。
あっという間の出来事だったと今更思いを新たにする。
何が原因であったのか、レコードの「取り回しの不便さ」と同時に塵や傷に依る「ノイズ」や重く嵩張るところが主因ではなかったかと、思うところを以前申し上げたことがある。
特に傷や塵に依るプチノイズは不快であり、楽興を削がれる事この上ない。おまけにどういう訳か曲趣の一番高揚するところに限ってこのノイズは発生する。
演奏が終わった一瞬の静寂、其処には深い幽玄の世界が存在する。
或るテレビの対談で「静寂も偉大な音だ」と某フラメンコダンサーが語っていた。その通りだと共感するが、プチノイズにはその「偉大な音」を叩き壊すような、知ったかの「ブラボー」を聴かされるような不快感がある。何故この時ばかり普段使う事も出来ないフランス語の掛け声を掛けるのか理解に苦しむが、云ってみればそうした「ブラボー」を一曲の間に何回もやられるようなものだから、余りノイズの酷いレコードはいつの間にか聴かなくなるし、レコードのクリーナーに当時は優秀な物を得なかったから、レコード全体が衰退したのではないかとも推察する。
そこに、小さくて収納に場所を取らないし、持ち運びも便利で音質もまあまあ、しかもノイズ無し、のCDが出てきたのだからあの趨勢はやむを得なかったと確かに思う。
悪い物が良い物にとって代わる、事音に関してはどちらが優れているか万人に確認可能と思われたが、気が付いた時にはレコードが市場から消えていた。音に限らずあらゆる分野でこういう事は起こり得る。優秀で優れた物(人)が認められるとは限らない。
そろそろ罷免されそうだが、現防衛大臣は確かに在任しておられるのである。
どうあれ、レコードはCDに駆逐された。
あれから約30年が経った。
そのレコードが今になって一部のマニアから見直されている。
音が良いからである。
ハイレゾ音源の音の良さがCDを駆逐しつつあるようだと思っていたら、IPADやスマホをクラウドで利用すれば音質はもっと向上し何処へでも膨大な音楽を持ち運ぶ事が出来る。(いや、持ち運ぶのではなく、何処へでも付いてくるし、音楽データの保存場所は天空である)そうした音楽世界が始まろうとしている所為か、思った様にハイレゾ通信の商売が伸びていないらしい。
アメリカではこのサービスがもう始っており、アップル、グーグル、アマゾン、ヤフーなどが既に競争状態に有るという。何時もの通り日本は立ち遅れて、今秋からNTTがサービスを開始するらしい。
例えば、アマゾンでは5GBまで無料、10Gまで年間10ドル、アマゾンでアルバムを一枚買うと20GBまで無料でアップロード出来るらしい。WEBやアンドロイドで利用できるという事である。現在はアメリカのみ対応しているらしい。
無論著作権やセキュリティーの問題が未解決のままの見切り発車と思われる。
著作権に対しては、我が国の最高裁は厳しい判断をしているようだから、例によって例のごとく我が国は立ち遅れて行くのであるが、クラウドから取り込んだ音楽が如何なるものか興味は尽きないし、聴いてみたいとは思う。
しかし、結局音質でレコードに太刀打ちできないだろう事は聴く前から明白であるとほぼ確信するが、但し、どうしても「ノイズが無ければ」と其処には原始的な条件が欠かせない。音の良さや、音に内在する音楽性など現代人は余り気にしない様子がうかがわれる。
そいうことよりも、利便性や歪んでいてもノイズの無い音が優先されるようだ。
それは兎も角、昔から塵や傷に依るノイズがレコードの最大の弱点であることは確かである。
しかし、このノイズは有効に除去する事が可能である。
レコードのノイズは当残ながら傷と塵の付着によって発生するが、余程取り扱いや保管状態の悪かった物を除き、見た目で解るような傷が無い限り、傷に関しては余り気にする必要はなく、ノイズの大半は塵の付着を原因とする。諸悪の根源は塵に有る。従って、この塵を完璧に取り除く事が出来さえすれば、レコードはこの時代に有っても依然として最高音質の音源である事は間違いないだろう。
では、そのノイズをどうやって除去するか。
皮肉なことにレコード全盛時代よりも、CDに駆逐され、ハイレゾだクラウドだと云ってレコードなど忘れ去られた現在の方が遥かにレコードの塵取り技術は向上しており、バキュームで吸い取る。超音波で取り除く。といった大掛かりな物もあるし、クリーナーも良いものが開発されている。
30年ほど前から、バキューム方式のクリーナーは英国製の物が30万円前後で市場に出ていたが、これはクリーニング液を盤面に塗って塵を浮かせ、その塵付きのクリーニング液を糸に沁み込ませてそれを吸い上げるという方式の物で、技術的に問題が無いわけが無かろうと素人でも見当がつくのと価格が高い事で、今一つ伸びなかった。
バキューム式の現行製品は、流石に糸を吸い込むなどという、盤面に傷を付けるのではないかと一般の我々にも不安を抱かせる様な代物ではないが、業とする人にクリーニングをお願いして試してみたところ、普通の塵は取れたが、頑固な汚れは取れない儘で戻って来た。
この手の大掛かりな機械に期待するところは、盤面を擦って新たな傷を付ける事無く、諦めていた頑固な汚れを除去する事だからその頑固な塵が取れなければ論外と云ってよいだろう。
洗浄液
様々なクリーナーを試してみて、結局長年使い続けているのはレイカのBALANCE WASHER 33A,Bというクリーナーである。
A液で黴や汚れを取り除き、B液で安定した保存が得られるようにする。
クリーニング液の拭き取りには、ビスコ33という紙を使う。これでせっせと盤面から塵を拭き取るのである。
原始的だがこのセットの右に出るクリーナーは今迄無かったと確信している。
極めて優秀なクリーニングセットだと思う。

当然ながら傷まで修復する事は出来ないが、先にも云った様にレコードのノイズの大半は塵に依るものだから、傷さえ無ければほぼ完璧にノイズを取り除く事が出来るし長期にわたって黴の発生を防ぐ事が出来る。
敢えて欠点を云うなら、2液使って同じ作業を2度繰り返さなければならない面倒と、ビスコ33がプリンターのインクの様にボディーブローが効いてきてランニングコストが馬鹿にならないという2点だろう。
御承知のようにエレベーターは修理点検で儲ける。プリンターはインクで儲ける。こうしたランニングコストで儲ける商売は身近に幾つも存在していて、インクなど買う度に苦々しい思いをさせられるが、このクリーナーも紙が残り少なくなってくると、今迄の有難味が何処かにすっ飛んで、毎回何やらしてやられた様な思いがする。しかし、優秀だから止められない。それがまた不愉快という悪循環に陥るのである。
年金生活に入って小銭を勘定し始めると、貴方がたも実感される事だろう。
だが、こればかりは他に変えられないと諦めていたところ、MUSIKANOVAという会社からレイカのこの2つの欠点をほぼ完璧に克服したクリーナーが開発された。
クリーニングは1回で済み、浮き上がった塵を取り除く訳だから盤面を強く擦る必要が無いので、吸水性の良い紙又は布なら何でも使えるし、付属するマイクファイバークロスという布は非常に優秀である。
ノイズ除去性能は、レイカ製品に勝るとも劣らない。後はクリーニング効果、黴の発生防止を何時まで持続出来るかの問題だが、こればかりは数年経ってみないと確証を得られない。レイカの製品はこの点の優秀性も既に確認されている所が強みである。
このクリーナーを入手してから既に30枚ほどのレコードをクリーニングしたが、どれも一発でピカピカに仕上がり、中に黴だらけの凄い奴もあったが、これも一発で決まった。
子供のころから家に有って、転がして遊んでいたレコードを以前レイカのクリーナーでクリーニングした時は充分に塵を取り切れず、繰り返し聴く気にはなれなかったが、今回のクリーニングでははっきり効果が現れ、PCのライブラリーに加える事が出来た。だが、これは以前レイカでクリーニングしているから本当はどちらのクリーナーが有効であったのか解らず、引き分けだろう。
纏めると、要するに両方使えば文句ねーだろうという事になる。何処かで聴いたセリフだが「何か、文句がありますか」 そうだ、云い忘れたけれどもクリーニング後は必ず内袋を新品に替える事が肝心である。そうしないとクリーニング前の黴や塵が再び付着する。
かくして聴くレコードの音と、クラウドという天空に浮遊し、天から降って湧いてくる奇態な電波との音の差はやはり歴然としているだろうと推察する。
後は、音という文化文明の基軸の様なものをどう捉えるかという、我々受け取る側の感性の問題だろう。敏感に感じ取るか、鈍感でどうでもよいとするか、この資質の違いは案外各々の人生を物語る事に通ずるものかもしれない。
良い音で、心に残る音楽を聴くためにはだからせっせとレコードの塵を取り除く事が肝腎だ。


我が、蹉跌のオーディオファイル #24.アンプと真空管

                        アンプと真空管

件のアンペックスのイコライザー、球は12AX7である。
これを通常僕はGEの5751に差し替えて使っている。
12AX7はE803CCだったか、テレフンケンに音の良さでは定評のある球が存在する。
詳しいスペック的な事は知らないが、以前「これがテレフンケンの中で最高の球である。使ってみないか」と云われて一週間程借りた事があって、その音の良さは一応体験している。
所詮音は好みだから、良いとか悪いとか言ったって個人の感覚でしかないが、このテレフンケンは猛烈好みに合っていたから、喉から手が出るほど欲しかった。
だが、値段を聞いたら「4万円だ」と云う。2本で8万円。希少な球で飛んじまったらスペアが無い。
30年前この球は確か5000円しなかったと記憶している。高くても1万円程度だった筈である。それが4万円。
こういった際物と云ってもいいようなものに僕は決して手を出さない。
もう歳だし死ぬまで安心して聴く事が出来るように充分なスペアを用意して置きたいのである。無論、このテレフンケンを5本程、全部で5万円程度で入手できるなら物も云わずに買うだろうが、5本で20万円など年金暮らしで食うのがやっとのジジイにとっては冗談では済まされない金額である。いや、そうでなくて大金持ちだと仮定してもやはり僕は手を出さない。何というか、してやられているようで気分が悪いのである。
「もう2度と出ませんぜ」といったセリフに乗るのは嫌なのである。
一頃僕はこのセリフに弱かった。特にカメラがいけなかった。デアドルフの11×14(10×10の一回り大きい奴)、以前、あの可愛い宮沢りえさんを丸裸にひん剥いた某カメラマンが大相撲の全関係者、理事長から呼び出しに至るまで、を国技館に集めて「ハーイ、イキマッセ」バシャ!とやったカメラの一回り小さいサイズの木製カメラである。
こんなものをどうするつもりだったか、「2度と出ませんぜ」と云われてその気になった。
要するに懲りているのである。
一時期世界のライカは日本に集まっていると云われた。それが今では中国に大移動しているのだそうだ。0を2個くらい余計に付けると飛ぶように売れるらしいから、このテレフンケンの球も中国に持って行って4万円などとケチなことを言わずに0二つか三つ余計に付けたら飛ぶように売れるかもしれない。
それにしても中国の腐れアンプに挿すには如何にも勿体ないが、仕方あるまい、金銭とはそうした性質のものなのだ。
以前のイコライザーにはRCAの5751を挿していた。
この球は実に良い球である。文字が赤ではなく橙色で印刷されているブラックプレートとかいう奴である。
この球をアンペックスのイコライザーに挿すと、大概のレコードは信じられないレベルで再現される。レコードにはこんな音まで入っていたのかと再生機器をグレードアップする度に新たな発見があり、レコードの情報量の多さに何時も驚かされてきたが、これは駄目押しと云っていいのだろう、おそらくこのイコライザーはレコードに刻まれた音の全てを本当に余すところなく再現していると僕は思う。
アンペックスがオリジナルのこのイコライザーでどういう球を使っていたかは知らないが、プロ機専門のアンペックスである、僕がもし設計者だったら迷わずRCAブラックプレートを指定するだろう。
だが僕はGEの5751を使っている。GEは微妙な差ながら高音が今少し柔らかく、RCAの様に耳に突き刺さるようなところが無くて耳触りが良い。
僕が此方を挿しているのは、我が家でのんびり聴いている分には余り刺激的でない方が疲れないからである。だが、時には若者が好むような刺激音が聴きたい時もあり、そうした時は差し替えて聴いている。
要するにGEは家庭的な音がすると云ってもいいのかもしれない。
都合のよい事にシャーシーの選び間違えで、アンプに蓋が出来ず、中身が丸出しだから球の差替えは簡単である。
12AX7はもうひとつアンぺレックスの笛吹童子とかいう渾名の付いた奴を持っていて、
これも人によって好みの分かれるところだろうが、妙に落ち着いた音がして、僕はまだここまでジジイが追い付いておらず、何だか物足りない。
決して悪い球ではないので後15年ほど生きていたら改めて聴いてみようと思う。
もしかしたら病みつきになって、そのまま気持良く昇天できるかもしれない。
しかし、この球も数が少ないのか新品には殆ど御目にかかる事が無く、中古も結構な高値である。30年前には1000円程度だったと記憶している。
この球には赤で印刷されたものもあるが、少なくとも僕の持っている赤は論外に音が悪い。
マニアの間では当り前のことで態々口にすることではないが、同じメーカーの球でも製造年代やロットによって音は違うし、同じ12AX7にも松竹梅があって音に優劣がある。

アンペックスのイコライザーは回路的には単純で通常の三極管の増幅回路に負帰還を掛けて位相を反転し、更に正帰還を掛けたものである。
僕は有り合わせの部品で組んだが、部品を厳選すればもう一段音質は向上するに違いないと思う。やってみたい気もするが、僕はもうこの音で充分である。
こうして組んだイコライザーが正規の製品となった時いったいいくらの値段が付くのだろう。
もう随分前の話だが、某メーカーの工場原価2万円のコンポの価格が20万円でゼロが一つ増えていた事を記憶している。10倍である。
これを其の儘このイコライザーに当てはめてみると、製造原価は約7万円だから定価は70万円という事になる。
これを会社ベースで部品の仕入れを起こせば当然製造原価はもっと下がる。半額まで下がったと仮定して定価は35万円である。
更にそれを一般商品としてギリギリのところで音質を確保すべく部品を選定してゆけば部品コストは大幅に下がる筈だから1万円以下に抑える事が出来るかもしれない。
そうすれば10万円を切る商品が出来上がる。
僕は今RMEのインターフェイス「ベビーフェイス」を使っているが、市場価格は7万円前後、いったいコストがどの位なのか知りたいところである。
アンペックス回路のこのイコライザーをベビーフェイスでデジタル変換してパソコンに採り込んだ音を、ベネターサウンドのVT−DAC192−Kでアナログ化して再生し音楽を楽しんでいる。
ベビーフェイスのDACの音も捨てたものではなく、コストパフォーマンスの観点からすれば断然合格であるが、VT−DAC192−Kと聴き比べてしまうと、随分と音が甘い(緩んでいるように聞こえる)ように思う。
僭越ながら我が装置をより具体的に言うと、ELACのSTS322とオルトフォンSPU−AとベネターサウンドのヘッドアンプVT−MCTLで昇圧した音を音楽によって使い分け、アンペックスのイコライザーにベビーフェイスを直結し、IMACにインストールしたサウンドセイバーというソフトでハイレゾ録音して音楽を整理収納して、その音をベネターサウンドのVT−DAC192−Kでアナログ化し、赤豚0001というプリを通し、ダイナコMK靴鬟瓮ぅ鵐▲鵐廚箸靴董■廝稗韮呂涼壁佞30センチフルレンジのオリジナル箱入りのスピーカーでやっとこさ音楽を聴いている。我ながらご苦労な事だ。
専門家の目から見れば随分といい加減な組み合わせかもしれないが、僕の好みには充分答えてくれている。
オーディオは追究してゆけば際限ないからこの先幾らでもやり様がある事は承知しているが、何処かで止めておく節度が必要だと僕は強く思っている。
そうしないと音楽を聴くという本来のオーディオの目的が、音そのものの追求が主目的になってしまって違う方向へ行ってしまう。まあ、その趣味も悪くないし楽しいだろうが、僕にとっては本来の目的からちょっとずれてしまうから機械いじりはこの辺で暫く休止しようと思っている。
このイコライザーさえあればもういい。そう思わせるほどこのイコライザーは素晴らしい。決して自画自賛ではない。僕は半田付けして只組んだだけである。

CBSソニーのレコードの音は今一つ好きになれない。何と云うか、音採りの技術が妙に先行していて、客席で聴く音楽というより、自分も音採りの現場に居合わせている様な、眼の球に指を突っ込めるような距離で楽器の音を聴いている様な錯覚に陥る事がある。
その典型とも云える「56AC 1404〜5」の2枚組が我が家にある。
MASTER SOUND DR DEGITARL RECORDINGとあり、(音の極限を追求した話題のディスク)と帯に記してある。
グレン・グールド弾く、ハイドンの後期ピアノソナタ6曲である。
これをRCA5751を挿したアンペックスのイコライザーで聴いてみた。
まるで自分がグールドであるかのような錯覚に陥る程、音の品性は兎も角として生々しい音で鳴った。
グールドの鼻歌は時にうるさく煩わしいが、この音で聴いてみるとそんなグールドの気持ちも解るような気さえしてくる。
一般的にグールドは奇人であったとされている。だが、果たしてそうか、こうやって聴いてみると、グールドはただ極度にピアノに集中しているだけで、その集中度が他のピアニストに比して極度に高いというだけなのではないかと思うが、何か日常生活に奇行でもみられたのだろうか。
様々なピアノ演奏の中で、僕はリヒテルの平均律をダントツの一番に推すが、この演奏に向ったリヒテルの集中力とグールドの集中力は殆ど同様のものではなかったか、どちらも常人の業ではない。ただ、違う所は鼻歌の有無だけであると僕は思う。グールドは決して奇人ではないと思う。
ある女性がグールドを極度に嫌った。その女性こそ少し変わっていて、色々な事象や人心を見通すような才のある人だった。多くは語られなかったが「嫌悪する」と云われた。
僕に見える事ではないが、グールドの人となりの何かが見えたのだろうか。
人は様々だから一つの事象に色々な受け取り様があるのは解るが、グールドに関してこう極端に違う意見を聴かされてみると、この女性に今の装置でグールドのハイドンをお聞かせしたら何とおっしゃるだろうと、別の興味が湧いてくる。
もっとも嫌悪していらっしゃるのだから試みようとしても無駄だろうが。どんな感想をお持ちになるだろ。
ある日その方にリヒテルの平均律をお聞かせしたら絶賛しておられたが。
まあ、それは兎も角、気持ち悪いほど生々しく、突き刺さるような高音とその余韻、腹の底に響く低音。そして生きている様な鼻歌。
特筆物のこのレコードはRCAの5751で聴く方が断然面白いから、おそらく音響的特質に優れているのはGEよりもRCAなのだろう。
それともうひとつ、稀代の名録音プロデューサー、ジョン・カルショーの手になるショルティーの「ラインの黄金」の様な気違いじみたレコードを再生するにはやはりRCAが向いているように思う。
比べてバッハやモーツアルトは何に依らずGEの音の方が僕は好きである。
ギリギリとんがって聴く音楽ではないからかもしれない。
そのどちらをも完璧に鳴らすのが前述のテレフンケンである事を体験的に云う事が出来るけれども、もう一度云うが、昨今のこの球の価格は犯罪的ですらある。
云うまでもなく希少価値が高値を呼ぶのである。
無論趣味の問題だから、そうした際物に近い機器や部品を使ってこそ気持良く音楽を聴く事が出来るという人が居たって一向構わぬ事だが、僕はそうでない。
繰り返すが「この球が飛んだらどうしよう」といった心配をしながら音楽を聴いても何だか落着かないのである。
オーディオは音楽を聴くための手段だからオーディオ機器や部品そのものを主体には考えていない。
だから、オーディオに関する唯一の関心事は、単純にその音が好きか嫌いかと云うに尽きる。
大別してアナログ音が好きかデジタル音が好きかを問われるなら、云うまでも無くアナログ音を取るから、其処で大きく方向性が決まってくる。以下同様に機種が決まってくるので、細かいスペック的な問題は殆ど無視している。スペックから音を想像できるほどプロフェッショナルではないから、専門誌の解説や論評で機種選択した事は過去にないが、RMEの「ベビーフェイス」は例外的に専門誌の記事から選んだ。
これは大当たりだった。先にも述べたがしかし、そのDAC部は専門誌や評論家が鼻もひっかけないベネターサウンドのVT−DAC192−Kに遠く及ばない。
隠れた名機と云うのか、専門誌や評論家が気付かずに通り過ごすか或いは故意に外した物の中に他にも多くの名機が存在するかもしれない。
そういう意味では名器だと僕は確信するが、GEの5751も何故かマニアの間ではあまり話題にならない。
テレフンケンやシーメンス、マツダ、ムラード、アンぺレックスといった名はよく耳にするし、RCAも当然有名どころの仲間入りをしているが、GEはどうも一段低く見られているような気がする。
それが何故だか僕には解らない。
GEにはもう一つ6072(12AY7)という球があって、この球もどういう訳かマニアの間で全く相手にされていない。どうやら6072はオーディオに適さないと判断されているようだ。
だが、僕が30年間使っていたイコライザーの球は6072であった。
このイコライザーはマニアの間では極め付きの名機と評判をとった文字通り名機中の名機であるが、何故かこの名機に使われている6072は話題にならなかったばかりか、6072と聞いただけで「そんな球は論外」という答えが返ってくる。誰もがそう云う。
では何故あのイコライザーが名機の誉れ高いのか、その音楽性の高さはまず右に出るものはないと僕は思っているが、6072はやはり話題にすらならない。
先生と呼ばれている某氏もやはり鼻もひっかけなかった。「この球でプリ(イコライザーを含む)を造ってみたいのですが」とお尋ねしたら「そんな駄球でアンプを造ろうと思うこと自体間違いである」と厳しく叱られ、何やら別の球の回路のスケッチを描いて下さった。
どうしてだろう、現実に右に出るものの無い音が出ているのに。
優秀な物が(人も)疎外されてゆくにはある一定のメカニズムが働くようだ。
解り切った事だが、何らかの理由で特定の集団の大方が不都合とするのである。人の場合もその不都合を優秀な頭脳で推進しようとすると必ず体制から外される。優秀であればある程大方からは危険と見なされる。
何らかの理由で6072はそうした運命に晒されているのかもしれない。
だからという訳ではないが、この次もしアンプを造るならどうしてもこの球でやってみたいと思う。
しかし僕に電気の知識はゼロだから、部品の価を色々変えて一つ一つ音を確かめながらやってみるしか無かろう。いやはやこいつは大変だ。
気の遠くなるような話だから今のところ手を付ける気にならないでいる。
安易なやり方として、このアンペックスのイコライザーの球を6072に差し替えて音を確認しながら部品の価を換えてゆけばいずれ結論は出るだろう。
しかし、「天下のアンペックスの回路を素人が弄ってどうなるものでもなかろうよ」との指摘もあった。
真にごもっともである。仰せの通りきっとどうにもならんだろう。
でも、どうにかなった時の音を聴いてみたい。マニアとは一種の狂人であり、病人である。
「勝手にすりゃ良かろう」と誰もが思うだろう。
その通り、馬鹿に付ける薬は無いのである。
でも僕は、率直にこの忠告に従おうと思う。きっと完成をみる前にこちらの寿命が尽きるだろう。良い忠告を有難う。もう後ろを数えた方が早い歳だから、音ではなくて音楽を聴く事に専念しようと思う。
GEの5751を使ったアンペックスのイコライザーで。そして時にRCAの5751に挿し換えて。

 


我が、蹉跌のオーディオファイル #23.イコライザーその2

                       イコライザーその2

正月も松の内を過ぎると、急に現実の世界に引き戻されるが、我が家で正月仏前に供えた菊と松が何とまだ健在で見る度に飲み過ぎてあっけなくひっくり返った元旦の一日が甦る。
12年の年が明けて、先ずは目出度い。実はずっと、年が明けると何故目出度いのか良く解らないままいい歳のジジイになった。昔は正月には数え年を勘定したからまた一つジジイが増えた。顔を洗って鏡を見て改めて何が目出度いのか考えてみたがいよいよ解らない。
が、元旦には「おめでとう」と家族で挨拶を交わし、外出先の至る所でやはり「おめでとう」を言って、何故か酒を酌み交わす。
歳のせいか今年の酒は効き目が早く、御節の直後から御屠蘇代わりの酒が効いて昏睡状態に入った。元旦はそれ以外何も覚えていない。
岡田君寝
目が覚めると田中君がじっと僕の顔を見ていた。この子にも「おめでとう」を言わねばなるまいから「今年も宜しくな」と云った。「宜しく」と云わねばならないのは実は田中君の方で、この子は数年前から毎朝のっこのっこやって来る。のこのこではなくのっこのっこやって来ては朝ご飯を食べる。食べ終わるとソファーでゴロリと横になってお休みになる。
昼を過ぎてもずっと寝続け、4時頃になるとむっくり起き上がって「ご飯を食べさせろ」と云うから、夕飯をお出しする。食べ終わるとまたゴロリとソファーで7時半頃までお休みになる。この先は揺すっても起きない。
いや、実は揺すると目を覚ますらしいのだが、寝たふりをして惚けているようである。
自分が相手を見ないでいると、相手から見えていない、つまり旨く隠れ遂せたと思っている節が窺われる。兎も角惚け切ろうとする。こういう行動はネコ族に共通のものであるようだ。23年も主のように我が家に棲息していた猫もそうだった。
そこで、毎日僕は寝たままの田中君を抱いて4軒先の田中さんの家まで連れて帰る。
玄関の前に置いて素早く逃げ帰るのである。
まあ、どうあれ田中君は何事にも全く動じない。
顔はアマゾン辺りに棲息するナマケモノに似ており、動作も何処となく緩慢である。
僕が音楽を聴いていると、田中君は何時も隣に座って寝ているが、不思議な子で、トランジスタ系の音やデジタル音がするとむっくり起き上がり、暫く僕の顔を不快そうに眺め、「ドアを開けろ」と催促する。開けるとそそくさと出て行って、階下のソファでゴロリと横になる。
どうやら田中君はデジタル音が嫌いらしい。

去年の暮れに某君が「これ作ってみないか」とイコライザーの回路図を見せてくれた。
専門家ではないから回路図から音を想像する事は出来ないが、以前聞いたイコライザーの回路図に似ており、もうひと工夫してあるようなので、この時は一目でこれは良さそうだと半ば確信して即座に作ってみようと思った。
B電圧は250Vだから使用中の電源が其の儘使えるし、球も12AX7だから幾つか引き出しに転がっている筈である。
家に帰って早速部品を当ったら必要な部品は殆ど有ったので、シャーシーと数個の抵抗を買い足して、早速組み上げた。
現在使っているイコライザーはCR型の一般的な回路ながら、同じ某君に薦められるままに最高級の部品を使ったお蔭で、涎が出るほど素晴らしい音だからイコライザーはもうこれで充分だと思っていた。造ってから約1年経つ。
この1〜2年でアンプの工作にも慣れてきて今回は一発で決まって、気持良く出てきた音は、想像通り前作とは音の根本が違う別次元の音だった。
良いとか悪いとかいう比較の問題ではなく、横綱と十両くらいの差のある音である。
正月のテレビ番組に大間のマグロ漁に松方弘樹が挑戦するという、最初漁師が嫌がって見せたのはやらせかも知れないが、漁の最盛期を考えるなら随分と人迷惑な番組があった。
松方弘樹と云えば釣り道楽で有名な役者である。釣り番組などによく出ているから何方も彼の腕前はご存じだろう。釣りをやらない僕が見ても何処となく素人離れしているように見える。
だが、大間の漁師達はちょっと違っていた。松方弘樹は何だかちょっとかわいそうだった。本職と素人の差と云うのは到底埋めがたいものだと番組をご覧の方々なら良くお分かりだったろう。波頭の葛藤場面では、あんな「大物色男役者」も全くかたなし。
何事もプロは身のこなしが違うと思いを新たにしたが、旧作と新作では敢えて言ってみればこういう差のある音である。
聞けばこの回路はアンペックス(AMPEX)の回路なのだそうだ。オーディオマニアでアンペックスを知らない人はいないだろうが、実際にアンペックスの音がどういう音なのか知っている人は少ないのではあるまいか。
同じプロ機でもスチューダー(Studer)やEMTなどのヨーロッパ系には比較的馴染みもあるし使っている方も結構いらっしゃるようだが、最大の生産国であるアメリカのアンペックス、フェアチャイルド(Fairchild)などは馴染みが薄い。
長いオーディオの経験の中で僕が手にしたアンペックスノ部品と云えば使い古したオープンデッキのヘッド位のもので、頂き物で使いようのないこんなものはさっさと捨ててしまったが、こうしたプロ機とは縁が遠過ぎて頭の片隅にもなかったアンペックスが思わぬところで懐に飛び込んできた。
僕が有り合わせの部品で組み上げたイコライザーにしてこの音なら本物は如何にと興味は尽きない。
きっと回路図には無い鼻薬の様な細かい細工が各所に施されているだろうし、だいいちどんな部品を使っているのだろうと思うと入手できないまでも、とっくり中を覗いてみたい衝動に強烈に駆られるな。

岡田君寝起き2
ところで、今こう書いている横でピクリともせずに寝ている田中君だが、この子はデジタル音ばかりでなく、不届きにも我が前作イコライザーの音にも時々目を覚ましては不快な目を向けよる。階下に逃げ出すような事はないものの、何事か訴えるような眼でじっと見つめるのである、そして暫くするとドアの前に座り込み部屋から出してくれと催促する。
こういう時は決まってきつめの高音が出ている。気温と湿気の関係らしいと近頃解り始めて来たが、かなり敏感に反応するから音のバロメーターには打って付で、田中君のお陰で今迄随分音の改善が為されてきた。
この子、昔はちょいといい女だった面影があるが、歳でもう歯が無いから喧嘩に勝てない。
4軒先ながら行き帰りの道中が心配である。
この界隈には「ツロツロ」という朝青竜に似て目が細くて、チョッと柄の悪い男(オス猫)が居て、こ奴も何故か我が家に飯を食いに来るから、鉢合わせして殴られでもしたら危険である。詰まらん事で怪我でもされたられては大変である。だから夜道は抱いて返すのだが。
全く田中君に音を教えられるのでは型が無いが、少なくとも我々人間の耳より遥かに優れた聴覚を持っておろうから貴重な存在なのである。岡田君寝起き1 
因みに猫の可聴周波数範囲は60Hz〜65,000Hzだから、低音は人間より鈍感だが高音は人間より遥かに高い周波数を聴き採る。
いつものことだが、珈琲好きの客人に冷めぬようにとホットプレートに珈琲ポットを載せ、音楽を聴きながら世間話の最中でも一向に動ぜず田中君は寝ているのだが、プレートのSWを切って暫く経つと、急に起き出し、ポットを退けろと催促し、ちゃっかりとプレートの上で丸くなってまた寝る。火傷しない頃合をちゃんと解っているようだ。
どうあれ、田中君のセンサーはオーディを評論家より優れていると思われるが、ご飯しか催促しないところが可愛い。

EQEQ電源
この田中君が、今回のイコライザーには目を覚まさず、ぐっすりとお休みである。
合格らしい。

兎も角このイコライザーは僕が今迄聴いた中で最高とだけ申し上げて細かい事は次回に譲ろう。

 


我が、蹉跌のオーディオファイル #22.アナログ文化とデジタル化



 

アナログ文化とデジタル化

 

昨今写真の世界ではデジタルがほぼ定着し、ヨドバシやビックカメラのフィルム売り場が大幅に縮小されて久しい。

フィルム会社も挙ってフィルムの生産を縮小或いは中止している。

そんな中で一人気を吐き、モノクロフィルムの内容を充実させているのがローライである。

旧東側にもクロアチアのefkeやチェコのfomaが頑張っているが、このデジタル時代にあって、新しいモノクロフィルムを開発する斬新さという点では断然ローライ(Rollei)が光っている。




もう一つ、アドックスもCMS20という素晴らしいフィルムを出していて、これに嵌ると止められなくなるが、選択肢の広さではやはり
ローライが凄いORTHO25やRolleipan25などは粒状性、コントラスト共に特筆物である。


ユーロのやる事は今一つ解り難く、ローライもアドックスも実際はアグファが製造しているという話を聴いた事があるが真偽のほどは解らない。まあ、どうだって良い事だ。

モノクロで色を表現する。それが物理的に不可能な事くらい解り切っているが、観る者の想像力を掻き立てるところがモノクロの最大の魅力だから、モノクロで色の想像を期待するというのも試みとしては面白い。

例の適不適は兎も角、戦場のカラー写真とモノクロ写真を見比べてみると、この事の意味が解りやすいかもしれない。血の色である。

カラーで見る血の色と、モノクロで見る血の色とでは受ける印象が随分違うものだ。

当り前だがモノクロで見る血は黒っぽく写り決して赤ではない。にも拘らず僕らは明らかに赤を想像する。それも見る人によって様々な赤が想像されるが、命を感じさせる力は、明らかにカラーよりも強いように僕は思う。

一枚の写真に内在する力、見る人の心に訴える力はカラーもモノクロも変わりは無いのに、不思議な事に印象の激しいものは大概見たその場で決着が付いてしまう。「見た。うわー凄い」それで終わりというものが多い。

その逆に、見たその時の印象は左程強いものでなかったにも拘わらず、脳裏に焼き付いて離れない写真はモノクロで撮られたものに多くみられる。

人の心に訴えるものがどういうものなのか、ローライはその事を良く知っているのだろうと思うし、時代に逆行しても写真の本質を追究し続ける姿勢が素晴らしい。

写真をやる方なら先刻ご承知だが、ローライは老舗中の老舗である。その老舗が写真の原点を追求し続け、現代風に発展させてゆく、日本の老舗がソロバンを弾いてさっさとフィルムから撤退してデジタルに奔ったのとは随分違って、金だけではない写真の哲学を感じる事が出来る。

先月、ブータンの若い国王と王妃が来日されて、一時ながら「幸福とは何なのか」ということが極度の文明社会の我が国で注目された。

確かに注目はされたが、イカロスの翼に乗って久しい人類が今、飛んでもない所へ向かって進んでいる現実はもう止めようがないのかもしれない。

何時からそうなったのか。

歴史を遡ってみると、原子爆弾の投下から急速に人類は今までと違った世界、科学と化学と物理学の世界へ文字通り競って猪突猛進したと云えるのではないか。

「それで良いのか」とワンチュク国王は現代の文明社会に一石を投じられたのだが、果たして誰が本気で振り向くだろうか。

 

音の世界も今やすっかりデジタルの無機音が世界を席巻して、若者ばかりでなく老人の心まで蝕み始めている。

ゲートボールで禿げが白髪の頭を叩いたなど、些細なことで切れやすくなっているのは若者ばかりではない。僕らそろそろ悟りの境地に入ってもおかしくない年齢のジジババにしてこれである。

日本中が、いや世界中がギスギスしてしまって、彼方此方で深刻な紛争が絶えない。

この事は以前にも触れて、原因の一端は食べ物と音にあるのではないかと申し上げた事がある。

無論「違う」と言う人が居るのは承知している。だが、聞いてほしい。

ファーストフードにインスタント食品、たまには良いが毎食こういうものを食べていると知らぬ間に体のあちこちに変調をきたすところなど、その害毒は放射能に匹敵するのではないかと僕は思っている。

音もそれに勝るとも劣らず質が悪いということに案外我々は気付いていない。

ガラスを引っ掻く音に初めの内は耳を押さえるが、毎日それを聴いていると次第に慣れてきて、そのうち平気になる。気が付いた時には鏡の中の目玉が吊り上がっているかもしれない。

以前、この手の目玉の吊り上がった若者がラッシュで込み合う品川駅の構内を、何処へ向かうともなく血相を変えて突進しているのを目撃した事がある。

幸い僕は少し離れていたので難をのがれたが、触れる者は皆跳ね飛ばされていた。

彼は何処へ行ったのだろう。そして、これから何処へ行くのだろう。

CD等のデジタル音が世界を席巻したのは1984年以降だから、世界中の音がデジタル化されて、音源も録音機材も再生機器も何もかもがデジタル化して、もう30年も世界中の我々はどっぷりデジタル音浸けになっていることになる。

昔のアナログ音は、一部のレコードマニアの間で辛うじて生き残っているのが実情である。

こういう連中は僕も含めて変わり者として奇人変人の部類に分類され、「まあ勝手にやっとれ」といった扱いをされているようだ。

SPしか聴かない超ジジイに僕ら若いジジイはもう付いて行けない。それに似ているのかもしれないとも思うが、ちょっと事情は違う。
SPもLPも同じアナログ音だから音に対する理解は充分にあるので、要はあの手間暇が億劫なのである。

だが、デジタル音との違いはそんなものではなく、人間の生理現象に関する根本的な違いだから、受け入れる事は先ず出来ない。

フィルム、特にモノクロフィルムが一部の本職やマニアの間で辛うじて生き残っている姿と、それは酷似している。

一部の熱狂的レコードマニアは僕も含めて確かに存在するが、世界の趨勢が其処にない事は解り切っている。

地球上のあちこちで混乱と紛争が絶えないのは、人間が天に向かって唾した付けが廻ってきているだけの事だが、そろそろ笑い事では済まされないところまで来ているのではないか。

その原因の全てがつまり主因が食べ物と音にあると迄はまさか云わないが、少量ずつ盛られた砒素の様に害毒が体中に廻って、それがそろそろ充満し始め、70億人一人ひとりの心を蝕み始めているのではないかと僕はかなり本気で思っている。

ヨーロッパ圏など文明の発達した欧米諸国に混乱が生じ始めている現代の特徴的現象がこの事を物語っているように思えてならない。
発展途上国の混乱は主に無知と貧困に起因するが先進国の混乱は煩悩にある。その煩悩を生む主因は権力と金と女だが、それらに対する制御能力が衰えて来たのだと云えないか。つまり何事においても我慢が出来なくなってきているのではないか。

それは、化学物質に近い食べ物を日常的に食べ、無機質な音に日常的に浸っている事が遠因だと僕は思っている。

 

その昔、RCAにフラワーボックスという一寸素敵なスピーカーがあった。マグネットを使用する現代のスピーカーではなく駆動電源を必要とする所謂フィールドスピーカーというタイプである。

箱の全面と側面に貼られた布に大きく花柄の刺繍がしてあることからこの名が付いたが、正式には、RCA Loudspeaker 106という。

1950年代のモノーラルLPを鳴らすと実に艶っぽい音がする。



これを、GEのバリレラを使って真空管アンプで鳴らすのである。

この時代のアメリカ録音のレコードを聴くには断然バリレラが良い事を、僕はこのフラワーボックスで始めて知ったが、オルトフォンを始め全く他の追随を許さない。

普段使う事が無くて引き出しの奥に転がっていたバリレラが敢然と息を吹き返し、フラワーボックスは恰も其処に歌手が居るかのように現実味を帯びて鳴ったのである。再度云うが実に艶っぽい。

こんなものを造る国と日本は戦争をした。端から勝てる相手ではなかったと今更ながらつくづく思った。

モノーラルのレコードの魅力は何と言ってもこの艶っぽさと生々しさにあり、ステレオLPでは終ぞ味わえぬものだ。

こうした超アナログ世界の音を貴方が聴いた時、どんな気持ちになるだろう。

ワンチュク国王に接した、金まみれで心のささくれた我々日本人が一様に感じたであろう、本能的な郷愁とある種の懐かしさを伴った途轍もない悲しさと、そして明日への一縷の光明をそこに見出すかもしれないと僕は思う。「まだ間に合うかもしれない」という事だ。

この音はきっと貴方にそういう印象を与える事だろう。

僕はこの音で祖母を思い出した。

明治18年生まれ、質実剛健、薩摩武士の娘であった。

この祖母とは血が繋がっていないが、僕は親の世代を超えてこの祖母に育てられた。

子供の頃、金の事を口にすると普段は物静かな祖母がこの時ばかりは俄かに語気を強め「男が金の事を口にする」と厳しく諌められた。長じて社会人となってから、金の話しかしない会社という組織では同僚から決して理解されない苦労が随分あった。

しかし、こうした組織にあっても武士の魂の貫きようはあるので、振り返って後悔するところは全く無いし、それどころか今になって祖母の教えの何たるかが解ったような気さえしている。

この祖母は死ぬまで「痛い」「苦しい」「辛い」という言葉を文字通り一言も口にしなかった。僕は既に何回も口にしてしまっている。全く足元にも及ばない。

口数の少ない控えめな人であったが、無言の教えの効果は歳と共に現れるものだという事も、此方がジジイになって始めて解るのである。

フラワーボックスの音で何故こんなことを思い出したのか良く解らない。

LINNだかなんだか知らないがデジタルアンプやJBLなどで何を聴いたって思う事も想い出す事も無い、あってもせいぜいが口説いた女がどうだったといった低俗なものでしかない。

言い方を換えるなら、これ等の機器は音は鳴るが、音楽が鳴ってこない。

無論、鳴ってくる音にはメロディーがあってリズムがあるから音楽には違いないけれども

音から連想するものが違うのである。音楽の価値はそこから何を連想させるかで決まるのだ。

フラワーボックスが奏でる音楽には、つまりアナログ音には血が通っている。だから、連想するものにも血が通っているのである。

PCのサイトでVenetor Soundを検索すると、50年〜60年代のアメリカのレコードを不思議な事に見事なアナログ音で聴く事が出来る。

PCなどという超デジタル機器でどうしてこのような音が出てくるのか解らないが、間違いなく出てくる音は古き良き時代のアメリカンポップスのアナログ音である。

この時代のアメリカという国の一端を知る事が出来る。
音楽には常にその音楽が生まれた背景があるから、それを聴き採る事が出来るかどうかがオーディオの評価につながる。

スペックを評価してもオーディオの価値は解らない。オーディオは決して主役ではなくて「主役は飽くまでも音楽にある」という事もこのサイトが教えてくれる。

オーディオ雑誌の主役はオーディオ機器だから、オーディオ誌を読むだけではオーディオを間違えるという事も序に教えてくれている様な気がする。

この音を聴いてみると評論家諸氏は勉強になるかもしれない。
そしてもうひとつ、新橋や芳町あたりで少し遊んでくると良いかもしれない。粋を知らずに音楽の評論も無かろう。

Venetor Soundという会社は、言ってみれば今モノクロフィルムに注力するローライの姿に良く似ている。人の心に訴える本物の音造りをめざす数少ない会社の一つである。

ローライと違う所は老舗ではなくベンチャー企業だという所だが、これからの我が国に必要なのは、中身の腐った某光学機器会社や紙屋の様な企業ではなく、こうした本物を追求してゆく会社である事に間違いない。

一度彼等の造る音を聴いてみる事をお勧めしたい。

 

 

 

 



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